先日、福知山で日韓関係と安全保障についてお話しした際、慰安婦問題の河野談話について質問があった。立派な談話だったのに、その後の自民党政権、とりわけ安倍さんがそれを踏みにじるようなことをしているから、現在のような日韓関係の深刻化が生まれているのではないかという質問だった。これは、現在、韓国の国会議長が進めている徴用工問題の解決法案の評価にもつながるので、少し書いておきたい。

 

 河野談話も解決法案も、その善意をわたしは疑うものではない。河野談話の時は、これで解決してほしいと願ったものだ。河野談話を否定するよりも、それを尊重すると明確にしたほうが、日韓関係のひずみは少なくなるという程度のことは言える。

 

 ただしかし、これで問題が解決することはない。これまでも書いてきたことだが、挺対協の人権博物館を見学したとき、「河野談話は日本の法的責任を回避するもの」というきびしい批判のテープが流されていて、びっくりした記憶が鮮明に残っている。

 

 要するに、韓国の世論は、慰安婦問題にせよ徴用工を生み出した植民地支配にせよ、それを日本が「犯罪」であり「法的責任がある」と明確にすることを求めているのである。いや、河野談話にせよ、徴用工解決法案にせよ、それを支持する世論がいったん多数を占めても、「犯罪だと認めていないものは拒否せよ」と市民団体が要求をしはじめると、その方向こそが世論の代表ということになり、穏健な世論は見えなくなっていくのである。

 

 その結果、穏健な解決策が支持されなくなるだけなら、まだいい。解決が遠のくだけの話だから。

 

 けれども、結局、穏健な解決策を支持した人々に対して、河野談話のように「責任回避」のレッテルが貼られていまう。そして、裏切り者のように位置づけられ、努力した人ほど挫折感を味わうのである。

 

 韓国国会議長の法案も、結局、同じようになっていくのではないか。そうなると、よけいに世論は複雑化し、解決への道のりが遠くなっていくことを懸念する。

 

 やはり、韓国の世論が求めているものに、日本は正面から向き合うべきなのだ。たとえ否定するにせよ、「植民地支配は合法だったか違法だったか」の議論を開始すべきなのである。その議論をどう開始すべきかを、わたしの『日韓が和解する日』は提示している。