とりあえず決着しましたね。連載はやめて、寄稿したものを一挙掲載します(昨日の前書きは除く)。修正する必要はないので、そのままです。決着の感想は明日の記事にしましょう。

 

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●韓国──市民主導を日本だけでなくアメリカにも貫けるか

 

 文在寅大統領の発言を見ていると、果たしてどういう日米韓関係を望んでいるのか、さっぱり分からない。ご自分も分かっていないのではないかとさえ感じる。

 

 そもそもGSOMIAを必要だと思っているのかどうか。日本による輸出管理の強化措置をふまえ破棄を決定したことは、それが冷静な判断ではなく激情に駆られたものとはいえ、絶対に必要なものだというほどの思い入れはないのだろう。しかも、韓国国民の多数はGSOMIAの破棄を支持しており、市民運動に依拠して誕生し、政権運営をしてきた文在寅大統領も、本音はそこにあるのかもしれない。

 

 ところが一方で、韓国側から聞こえてくるのは、日本が輸出管理措置を撤回すればGSOMIAを失効させることはしないということであった。ということは、GSOMIAを破棄するという決定は、別の何かと引き替えできるほどの軽い気持からのものであっても、本当は存在していたほうがいいというのが、文在寅大統領の本音なのだろうか。

 

 文在寅大統領が目指しているのは、まずは北朝鮮の非核化を実現し、さらには南北の統一を実現することだ。しかもそれを、平和的な話し合いで成し遂げようとしているはずだ。それならば、日米韓の軍事関係の強化から距離を置き、その軍事的結束をゆるめることをテコにして、北朝鮮に働きかけるという選択肢があったはずなのだ。GSOMIAは北朝鮮を直接の視野に置いた協定なのだから、それを破棄することは対北朝鮮外交の打開のために活かせる格好の手段だったのに、文在寅大統領の頭にはそれはなかった。あったのは「日本が韓国を信頼できない国だとして輸出管理を措置をとった」という恨みだけだったように思う。

 

 文在寅大統領の政治姿勢はいびつだ。盧武鉉以来の左派政権を誕生させたのは、北朝鮮を敵と位置づけ、それに異を唱える勢力、思想を徹底弾圧する軍事独裁政権を打倒した市民の力であった。だから、慰安婦問題や徴用工問題に見られるように、軍事独裁政権下では声に出せなかった日本の植民地支配時代のことを、今あれほど糾弾するのである。

 

 その長期間にわたる軍事独裁を支えたのは、他でもないアメリカである(日本も経済面では支えた)。そして、民主化運動を誕生させた最大の動機は、多大な犠牲を生んだ80年の光州事件における軍事弾圧を在韓米軍司令官が許可したことにあった。だから韓国の現在の市民運動は、「アメリカは韓国国民の命を大切にしない」とみなしている。

 

 ところが、文在寅大統領は、そういう市民の声は大事にしていない。市民主導政治は、日本に対しては発揮されるけれど、アメリカが支配する軍事の分野には及んでいないのだ。軍事同盟を絶対化する古い政治にしばられている。

 

 文在寅大統領が市民主導政治を貫くというなら、GSOMIAがどうかという細かい問題にこだわり、日本だけを批判の相手にしていてはいけない。客観的には、戦後ずっと続いてきた日米韓の軍事一体化そのものを解消するかどうかという、まさに根幹の問題に手をつけるべきなのだ。そうでなければ、文在寅大統領は早晩、市民から見放され、引きずり下ろされることになろう。

 

●日本──変化に対応した新しい外交を拉致問題でめざせ

 

 日本もまた、岐路に立つ日米韓関係を正確に把握していないようだ。結果として、適切な対応がされているようにも見えない。

 

 日本は、北朝鮮のミサイル対応を理由にして、GSOMIAを維持したいとの考えを何回も韓国に伝えている。それについて、文在寅大統領は、「安全保障面で信用できないとして輸出管理の優遇措置対象から韓国を外した日本と軍事情報を共有するのは難しい」と反論してきた。

 

 これに対する日本の反論は弱々しい。「輸出管理と安全保障は別問題」と反論しているとのことだが、韓国を優遇措置の対象から外すに当たって、日本政府は、徴用工問題での報復措置であることを隠すため、韓国の対応に安全保障面で信用できない事態が生まれたからだと繰り返し説明した。今になって別問題だと言っても支離滅裂である。

 

 日本と韓国の関係は「同盟」とは呼ばれない。しかし、戦後の日米韓は、北朝鮮を初めとするアジアの社会主義を標的にした事実上の同盟関係を結んできたことに間違いはない。そういういわば凖同盟の相手を軍事面で信用できないと公然と述べたのが日本なのである。日本政府は今になって、ミサイル問題での日韓連携が必要だと言うが、その日韓連携を崩してきた側にあるのが日本なのだ。

 

 しかも、日本がそういう態度をとれたのは、じつは本音では、北朝鮮のことを以前ほど「脅威」と見ていないからではないのか。韓国軍によるレーダー照射問題が焦点になったとき、韓国が事実関係を認めないことに怒り、問題を公然化したのも日本の側からだった。脅威が目の前にあると本気で信じていれば、たとえ準同盟国の言動に問題を感じていても、それを脅威がいる前で暴露するようなことはしない。戦後の日韓関係はそのようなものだった。安倍政権は、そういうことはもはや不要だと判断したのである。

 

 つまり、韓国だけでなく日本を見ても、北朝鮮を脅威とした日米韓の結束は転機を迎えているということだ。韓国を軍事面で信用しないと公言する日本政府の勇み足も、その実体の反映なのだ。それならば、実体面での変化を素直に受け入れ、変化に対応した新しい外交をめざすべきではないか。

 

 日本はこれまで、国連による北朝鮮人権批判決議の共同提案国に加わっていたが、今回は外れた。「北朝鮮の金正恩氏と無条件で対話したい」という安倍首相の言明をなんとか実現するテコにしたいのであろう。変化に対応した新しい外交をじつは日本政府も模索しているのだ。けれども、この程度ではインパクトは小さい。北朝鮮からの反応もないようだ。

 

 それならば、GSOMIAが廃棄されることをバネにして、さらにその道を先に進めることで、北朝鮮との関係を再構築すべきではないか。すでに述べたように、軍事的正解が必ずしも政治的正解というわけではない。GSOMIAを維持して北朝鮮のミサイル情報を瞬時にやり取りすることは、ミサイルからの安全を確保する上で、アメリカ経由でやり取りするよりは、即時性という点で意味があるだろう。けれども、アメリカ経由でもやり取りできるのだから(軍事面での利益がなくなるわけではないのだから)、それよりは拉致問題をどう動かすかに知恵と力を使うべきだと思う。

 

 具体的に言おう。日本は韓国は凖同盟関係にあるといっても、米韓合同演習に加わっているわけでもない。そういうオモテに見える現実をうまく使って、「日本は自衛の場合を除いて北朝鮮に対する軍事行動をとるための体制はいっさいとらない」と宣言するくらいのことをすればいいではないか。膠着した拉致問題を動かす上では、この程度では足らないほどであるけれども。

 

 

●アメリカ──頼りにならない同盟国であることを直視して

 

 それにしても、日米韓の関係をこれほど歪ませたのは、最近のアメリカの迷走にある。アメリカは日米韓の関係をどうしたいのか、はっきりさせるべきだ。

 

 GSOMIAの失効期日を前に、エスパー国防長官をはじめアメリカの高官が何人も韓国入りして説得に当たった姿は壮観とも言えるほどだった。韓国を説得できる立場にない日本としては、その効果を期待していたであろう。しかし、アメリカの説得には何の効果もなかったどころか、かえって韓国の自主独立の気概を駆り立てたように見えた。

 

 それは当然である。この問題を説得するのに、アメリカ以上に不似合いな国はないからだ。エスパー長官は、「GSOMIAが失効すると北朝鮮、中国に間違ったメッセージを与える」と強調したそうだ。けれども、それが本当に間違ったメッセージなら、トランプ大統領が発するメッセージは間違っていないのか。

 

 北朝鮮が国連安保理決議違反の弾道ミサイル発射実験をやっても、トランプ大統領は、日本や韓国が当事者となる短距離ミサイルの場合は「問題ない」と何回も繰り返している。GSOMIAで問題になっているのは、どうやってミサイル情報の素早い交換をするのかなのだが、トランプ大統領は、ミサイル発射自体に問題ないというのである。問題のないミサイルなら、何のために情報交換がそれほどまでに必要なのかが根底から問われている。大統領を説得できない国防長官が、アメリカの権威を笠に着て、他国を強引に説き伏せるなどみっともないとしか言えない。

 

 最近、フランスのマクロン大統領が、NATOの現状を「脳死」と表現したことが話題になった。対IS作戦で重要な貢献をしたクルド人でさえ平気で見捨てるトランプ大統領なのだから、「自分の国だけはアメリカが助けてくれる」とNATO加盟国も思えなくなっているのが現状だ。

 

 NATOと異なり、心理面でのアメリカ依存から抜けきれない日本と韓国だからまだ表面化していないが、日米韓の軍事関係でも同じような事態が進行しているのである。アメリカは、日本と韓国に対しては米軍駐留経費を4倍、5倍にせよと求めていることが報道されている。一方で、北朝鮮のミサイルは問題にしない。この現実を見て、アメリカは自国のもうけになるなら駐留するが、もうからない他国防衛には本気ではないと、誰だって本音では思っているはずだ。日本と韓国の政府高官も、心の奥ではそう思っていても、何十年もの習慣にしばられて口にできないだけなのだ。

 

 だから、どこからどう見ても、いま問われているのは、GSOMIAをどうするかという枝葉末節の問題ではない。日米韓の関係をどうしていくのかという本質的なことなのだ。枝葉末節ではなく根幹の問題を議論していくべきなのだ。より明確に言えば、頼りにならないアメリカをあてにしないで、どうやって日本の防衛戦略を構築していくのかということだ。GSOMIA狂騒曲は、それをあぶり出した点で無意味ではなかったと考える。(了)