普通の国民は、共産党の綱領改定とは立場が異なっていて、いまでも中国のことを「社会主義」だと思っている。その理由は、「だって独裁国家じゃん」ということだ。

 

 ソ連以来、目の前に存在する社会主義国家がどれも独裁国家だったから、国民が社会主義に対してそういうイメージを持つのは当然のことである。ついでに、議会制民主主義が根付いていたベネズエラまで、社会主義をめざしたとたん独裁国家になっちゃたりしたので、現在の社会主義は出発点が民主主義が遅れた国だったからという従来の説明も成り立たなくなって、ますます「社会主義=独裁」イメージが定着している。

 

 だから、この日本で社会主義勢力が生き残るのに何が必要かは、自明のことである。社会主義を掲げる国の独裁体制、重大な人権侵害をどれだけ批判できるかが大事なのだ。しかも、そういう独裁体制が社会主義の原則を踏み外していることを、どう説得的に展開できるかである。

 

 ソ連を相手にしている時代は、そこがすごかった。重大な人権侵害というのは、人権の世界では、組織的で大規模なものを指す言葉なのだが、ソ連政府がソルジェニーツィンという作家に対する言論弾圧事件を引き起こし国外追放したときも(74年)、物理学者サハロフ博士が反政府言論の故に流刑されたときにも(80年)、ソ連を堂々と批判し、ソ連から「内政干渉だ」と非難を浴びせかけられると、「重大な人権侵害は国際問題だというのが国際法、国際政治の到達点だ」と反論して一歩も引かなかった。

 

 まあ、日本共産党がどんなにがんばっても、狭い世界の範囲のことだから、国民の社会主義に対するイメージを変えることはできなかった。しかし、少なくとも共産党員や支持者は、共産党に対する信頼を持つことができたわけである。

 

 なお、普通、個人に対する言論弾圧を「重大な人権侵害」だとは言わないのだ。しかし、重大でない人権侵害であれ、それを批判するのは内政干渉とはみなされない。言論の自由に属することだから、重大な人権侵害というのは、それに対して国際社会からの強制措置(経済制裁などを含む)が許容されるような事態のことである。念のため。

 

 日本共産党が中国共産党と関係を正常化したあと(多くの人は知らないだろうが、中国共産党が日本共産党の中に手を突っ込んで分派をつくるなど本物の内政干渉をしたため関係が断絶していた)、しばらくは、そういう原則で対応していた。1998年に両党関係が正常化し、最初の試金石は99年に天安門事件10周年を迎えることであった。関係が正常化したため、もう批判はしないのかと思う人もあったが、その記念日には天安門事件を批判する長大な論文が発表され、支持者を大いに安堵させたことを覚えている。

 

 その共産党の姿勢に変化が出たのは、21世紀になった直後からだろうか。いわゆる「野党外交」が開始されて以降である。象徴的だったのは、天安門事件20周年の2009年、「赤旗」に何も批判的な記事が出なかったことである。30年目の今年さえ「主張」で取り上げたのだから、当時の態度が突出して変化していたことは分かるだろう。

 問題は、なぜそうなったのかの理由だ。(続)