共通テストの英語の民間試験問題は大揺れだが、じゃあどうしたらいいのかは、さっぱり見えてこない。センター試験のマークシート方式で点数をとる勉強をしたからといって、英語の実力が上がるわけではないことは明白なので、改革自体は急務なのである。

 

 この1年ほど、高校で大学入試に携わっている先生方から話があり、大学入試をどう改革するかの本を準備してきた。だけど、結局、本は出さないことになった。

 

 理由はいろいろあるが、現在の大学入試を批判する点では舌鋒鋭く書けても、どのような入試問題ならOKなのかという改革案が見えてこなかったことにある。それが根本的な理由である。

 

 理想的には、英語で言えば、それぞれの大学で「聞く、書く、話す、読む」能力を試す試験ができればいいわけだ。共通テストだって不要である。

 

 ところが、高校の先生方に聞くと、もちろんそれができる大学もあるけれど、ほとんどの大学にはそういう能力がないということである。だから、どんどん共通テストの結果に頼る構造が出てくる。ほとんど共通テストの結果で決めている大学もあるなんて、最近まで知らなかった。

 

 英語だけではない。これからその他の問題でも記述式の解答が必要とされるようになってくるが、何十万の受験生の文章による解答を前に、どう優劣を判断していくのかも、民間の業者がやっていくことになる。判定する側の個性にも影響されるだろうから、そのうちAIで判断することになるのだろう。だから、それはおかしいと大学ごとに記述式をやればいいと言っても、大学側には(全部ではないにしても)その能力はないということなのだ。

 

 でも、「聞く、書く、話す、読む」能力を試す試験がつくれない大学は、学生を受け入れたあと、学生の「聞く、書く、話す、読む」能力をどうやって向上させられるのか。記述式の問題を自分でつくることをいやがる大学が、どうやって学生の思考能力を高められるのか。

 

 そのあたりを視野においた議論をしないと、結局、日本の高等教育はどんどん遅れていくのかもしれない。深刻な問題である。