『日韓が和解する日──両国が共に歩める道がある』

 

 こういうタイトルの本を自分で書きました。このメルマガで紹介していることで分かるように、版元は私が編集者として勤めるかもがわ出版です。他にも関心を示してくれた出版社もありましたが、どこも来年初頭まで出版計画が決まっており、「緊急」に出せるとすると、いろいろ無理の利く自社でということになった次第です。

 

 日韓関係をなんとか正常な軌道に戻すことは、それだけの緊急性が求められる課題です。昨年10月末の韓国大法院による徴用工問題での判決以来、日韓関係は崩れ落ちていくばかりです。この判決を支持する人々から聞こえてくるのは、「悪いのは安倍政権」の大合唱であり、判決を批判する人々から吐き出されるのは、「悪いのは文在寅大統領」という怨嗟の声ばかりです。その応酬が相手方をさらに怒らせ、両国関係がどんどん悪化する悪循環にはまり込んでいるように見えます。

 

 どこかでそれを食い止める一手を打たなければ、取りかえしの付かない事態になってしまうのではないか。そういう危機感で書いたのがこの本です。本の内容については、是非、手にとって読んでいただければと思います。

 

 ここでは、この本の基本的な視座だけを紹介します。それは、現時点において、両国が何で一致できるかを重視したということです。本のタイトルからとると、「両国が共に歩める道」は何かということになります。

 

 日韓関係が悪化する最大の原因は、日本の植民地支配の過去をどう見るかということと関係したものです。韓国はそれを違法だったとみなしており(大法院判決が賠償を求める根拠もここにあります)、日本は現在同じことをやれば違法だが、当時は欧米からも合法だと認められたものだと主張しています。ですから、日韓関係を正常化させるには、根本的には日本政府が違法性を認めることが不可欠であり、現在、多くの方が植民地支配の非道について、いろいろと論じているのは当然です。

 

 しかし、植民地支配が違法だったということは、日本のみならずかつて宗主国であった欧米も認めていません。支配されていた国々から戦後70年以上にわたってずっと批判されてきましたが、どの国も態度を改めていません。70年変わらなかったものが、いまになってすぐに変わることはないでしょう。しかも、国際政治の現場では、民族解放運動をテロ行為とみなして忌諱する傾向も強まっており、植民地からの独立運動も例外ではありません。ですから、植民地支配の違法性を追及する道だけを歩んでいると、いつまで経っても両国が和解することは難しくなります。一方、年老いた徴用工にとっては時間が残されていません。では、どうしたらいいのか。

 

 日本と韓国の場合、1965年の日韓基本条約を結ぶ際、植民地支配が違法だったか合法だったかは、玉虫色の決着で済ませました。どちらも都合のいい解釈ができるような文面にしたのです。それから半世紀以上たった現在、そのことが日韓の危機と断絶を生み出しているわけです。それならば条約の解釈を一致させる交渉を両国が開始するしかないのではないでしょうか。

 

 本書を執筆するために、65年の条約を審議した国会の膨大な会議録に目を通しました。その中で、椎名悦三郎外相(当時)が、条約解釈が異なることが両国関係で将来問題になる場合にどうするかを答弁していたことが分かりました。現在のような事態が起きることを、日本政府も想定していたのです。だったら、安倍政権もその立場を受け継ぎ、条約解釈を一致させる交渉を受けて立つべきでしょう。

 

 本書の提言の核心はここにあります。相手側をどう批判するかという視座に加え、どうしたら合意できるかについても、議論が巻き起こることを期待します。