昨日は、朝7時のNHKニュースと朝ドラを見たあと、夜7時のニュースまでテレビはつけなかった。人並みにお祝いするというか、がんばってほしいという気持はあるけれども、まあ人並みだから。

 

 昼過ぎに用事があって住んでいる高槻の街を歩いていて撮ったのが上の写真。1年以上前の台風(その直前の地震)の被害からまだ復旧していない家が多い。最近の報道によると隣の摂津市では、4割が被災した状態のままだということだ。

 

 平成の時代に象徴天皇制が定着したのは、そういう災害にあたっての天皇の振る舞いが、国民多数の共感を得たからだということは、多くの人が指摘している。苦しい状態にある自分のことを忘れないで励ましてくれる人がいることは、政府が頼りない分、誰にとっても心強いことである。

 

 ところで、ニュースで即位の礼の報道を聞くと、新天皇の言葉にせよ振る舞いにせよ、「前天皇の前例踏襲」だとされることが多い。前天皇の在り方が象徴天皇制の定着につながったのだから、それが自然であろう。

 

 しかし、前例踏襲では、この定着状態が続くことはないのではないか。だって、災害の規模が前例を超えるものになっているし、今後もそうなっていくのだから。

 

 高槻を含む北摂の狭い地域のことにしても、1年以上たってこの有様だ。屋根の瓦を直すのに100万円以上かかるけれど助成は20万円程度で、高齢者には重い負担である。

 

 おカネがあっても職人が足らないということもある。我が家の近くにある市立図書館は(こちらは地震被害だけれど)再開まで1年かかった。

 

 だから、今年の台風被害に見舞われた千葉、そして関東と東北の広範囲にわたる被害からの復旧がどうなっていくのかは、容易に見通せる。高槻にさえ来ることのできない新天皇が、この災害で何ができるのか。即位の礼の儀式と台風後も続く東北への大雨が同時進行する様を見ていると、よけいにその思いが強くなる。

 

 先日、講演会で神戸に行ったが、会場の近くにあった「兵庫県公館」では、「皇室と復興を振り返る企画展」として、阪神大震災の時、天皇がどれほど頻繁に来たのかの展示が行われていたらしい。新天皇が前天皇と同じだけの努力を傾けても、四半世紀後に振り返って誇ることのできる成果は得られない。

 

 果たして新天皇に妙案はあるのか。前途多難なその門出を祝う。