東宝争議が戦後すぐに映画業界を席巻した争議だとすれば、60年代から70年代初頭にかけて大問題となったのが、「なつぞら」の舞台となった東映動画の争議だった。いろいろ混同していて申し訳ありません。五味洋子さんが「WEBアニメスタイル」で以下のように書いている(〈〉内は引用者)。

 

 「やがて〈71年〉7月。登石新社長は、従来、年2本制作だった長編(しかもB作のみ)を年1本に、年3本制作だったTV作品を2本に縮小する方針を打ち出し、さらに社員を約半数に削減すべく大量の希望退職者の募集を開始しました。当然、労組は激しく反発し、両者の間で団体交渉が繰り返されることとなりました。東映動画生え抜きの1人、奥山玲子さん〈「なつぞら」の主人公〉が労組の先頭に立って舌鋒鋭く会社側を糾弾する勇姿の目撃談がアニ同の例会で報告されたりもしました。……

 そして8月3日。「従業員は出社に及ばず」の通告が会社側からなされ、ロックアウトが始まりました。……

 ロックアウトは5ヶ月近く後の12月下旬まで続き、その間に100名余りが退社の止むなきに至ったそうです。争議は鎮まりましたが、スタジオの半分を東映本社に開け渡すこととなり、2日間に渡り配置換えの大移動が行われ、それに伴って不要となった動画机や社内に残っていた大量の資料類も廃棄処分となり、窓越しに中庭に投げ捨てられ、その山は2階に届くほどだったと聞きます。……」

 

 「なつぞら」はこうした時代の物語である。このような事情を抜きにしては、物語の背景を理解することはできないのだ。

 

 一番大事だと思うのは、この闘いでは、「よい映画をつくる」ということと、働く人の労働条件を改善するということが、不可分一体のものだったことだと思う。60年代につくられた『西遊記』製作では、動画・原画部門の月平均残業時間は88時間を超え、製作期間中に10人が過労入院したと伝えられている。

 

 労働組合は、「よい漫画映画をつくろう」というスローガンを掲げて、争議行為を闘った。ここが大事なことで、労働運動というのは、いい仕事をしているという自覚と結びついた時に、多くの労働者を結集できるのだと思う。「なつぞら」で労働組合の活動家である主人公の夫が、誰よりも「よい漫画映画をつくろう」ということに執念を燃やしているのは、そこを少しだけ伝えてくれる。

 

 「なつぞら」では、一人の女性が出産に伴って退職するが、主人公は出産しても会社とかけあって正社員として働き続ける。それに対して、「主人公だけいい目をしている」という批判があったが、おそらく当時の労働組合は、そんな闘い方をしてはいない。当時発行された「太陽の王子」制作スタッフの冊子では、以下のように描かれている。

 

 「会社の攻撃は、時には相対的に能率の低い技術者をスタッフから排除しようとしたり、スタッフ間の内部矛盾の拡大を狙ったり、賃上げや一時金の査定に極端な格差をつけたり、まさに様々なかたちをとって行われました。これをはねかえし、或いは耐え抜くためには、会社に対する攻撃の闘いだけでなく、闘いのための内部的意志統一にかけた何百回にもわたる本当に苦しい討議、いってみれば果てしない自己との闘いが続きました」「この作品の内容は主に団結をテーマにしておりますが、これを製作するためにもスタッフの強固な団結が必要だったのです」

 

 こういう視点抜きに、正規と非正規での分断のある現在の運動もできないと思う。そこまで朝ドラに期待するのは無理だけれど、挑戦する人があらわれてほしい。