共産主義って、ざっくりと言えば、政治的平等+社会的平等である。資本主義が出現するとともに普通選挙権が広がり、政治的な権利は平等なものになっていくのに、働く人々と資本家の格差は逆に拡大していく。
政治的には平等なのに、なぜ社会的平等は実現しないのか。どうしたらこれが解決していくのかを探求した先に、社会主義、共産主義の思想が誕生していくわけだ。
これを憲法の言葉であらわすと、自由権と社会権ということになる。フランス大革命などがあって自由権が実現したが、庶民は苦しさから抜け出せない。1840年代に活動をはじめたマルクスやエンゲルスは、そこを考え抜くわけである。
彼らはまず、大革命の最中につくられた1793年ジャコバン憲法に注目する。この憲法は、前文の人権部分で「平等、自由、安全、所有」と平等をトップにうたい、本文でも不幸な市民に労働や生活手段を提供する政府の義務などを書き込んでいた。エンゲルスは、「1793年憲法の諸原則が実現されていないかぎり、国民主権はない」と言っているが(『全集』第4巻401ページ)、さらにイギリスのチャーチスト運動に触れた論文の中で、これを「政治的平等」と「社会的平等」という言葉を使って評価している。
「彼ら(チャーチストのこと──引用者)はまず第一に共和主義者であり、しかも、(17)93年の憲法を自分の信条としてかかげ……た共和主義者であった。……政治的平等とならんで社会的平等が要求され、……」(『全集』第2巻)
この憲法は、ジャコバン派衰退の中で実施されるに終わる。しかしフランスでは、大革命後の社会的不平等への不満が強まり、1848年の2月革命では、失業中の労働者に仕事を与える「国営工場」の設置が決まったり、仕事がない人にも一定の給与が支払われたりする。
さらに、これらの成果を憲法に結実させようということで、憲法草案がつくられる。そこには、すべての国民が無償の教育で能力を発達させる権利、社会の成員が労働によって生活する権利、仕事を与える国の義務、孤児や老齢者が国家の手で扶養される見地などが盛り込まれる。
マルクスはこれを「プロレタリアートの革命的要求をまとめた最初の不器用な公式、労働の権利」と評価する(『全集』第7巻39ページ)。また、ドイツ3月革命のなかで創刊した「新ライン新聞」にこの草案全文を掲載したりした。
しかし、ご存じのように2月革命は失敗する。労働者だけに税金を投じることで農民の不満が増大し、それを利用して社会主義者を排除した政府がつくられ、労働者を銃殺したり、流刑にしたりするのである。
憲法草案も廃棄された。マルクスは、「労働の権利は、ブルジョア的な意味では一つの背理であり、みじめな、かなわぬ願いである」と嘆くことになった(『全集』第7巻39ページ)。
ま、こうして、いくら立派な憲法をつくっても、ブルジョア社会そのものを打倒しなければ意味がないというのがマルクスの考えになっていく。革命運動に力を入れようということだ。(続)