本日の産経新聞の「主張」の見出し。韓国によるGSOMIAの廃棄について、「北朝鮮を喜ばせる愚挙」と非難している。

 

 愚挙、大いに結構ではないか。「北朝鮮を喜ばせる」という観点で言うと、レーダー照射問題をおおやけにした日本の行為も「愚挙」、輸出管理で報復する日本の行為もさらに「愚挙」。「愚挙」があふれている。

 

 もともと、戦後の日米韓の関係そのものが、きわめて不正常で長続きするものではなかったのだ。だって、植民地支配した側とされた側が、その真剣な総括もないまま、アメリカの戦略に沿って、表面だけ友好関係、凖軍事同盟関係を結んできたわけだ。

 

 北朝鮮の脅威がリアルなものだっただけに、それは韓国と日本の利益でもあったわけだが、奥底にある対立はそのままずっと沈殿してきた。時が経てば溶けるようなものではなかったのだ。

 

 韓国で「愚挙」をするような人は、軍事独裁政権で殺されるか、牢獄につながれてきた。その時代が終わって、軍事独裁政権下では言えなかったこと、すなわち植民地支配時代のことがようやく言えるようになってきた。戦後、植民地支配の時代の清算を脇において、日米韓の同盟を結んできたことも問題にできるようになってきた。

 

 韓国が自国内で過去を裁くなら、たとえ「事後法」であって「罪刑法定主義」に反するものであっても、韓国の主権の範囲内のことだ。それを現在の日本企業にも及ぼそうとするから、いろいろなきしみが生まれるわけで、「国際法に違反している状態」と言われるのも当然なのだ。

 

 しかし、戦後74年間にわたって押さえつけられてきた気持が発露しているのだから、「愚挙」はとめようがない。74年分の議論を旺盛に行い、打開の道筋を見つけるしかない。

 

 「愚挙」が行えるのは(日韓ともに)、「愚挙」をしても「北朝鮮を喜ばせる」ようなものにならないと、心の奥では見ているからだ。だったら、「愚挙」の応酬で打開していこうではないか。