少し前、大丸が自衛隊の車両の展示をしようとしたけれど、地元の新日本婦人の会が抗議し、やめさせたということがあった。それをとらえて、「愛知と同じことを左翼もやっている」という見方も流れている。

 

 まあ、私個人としては、輸送車ぐらいで目くじらを立てるなよ、という思いはある。「みんな電話しようよね」とかなり組織的にやり、最後は地元の共産党の市議も出てくるというようなものであったらしい。

 

 だけど、これは愛知とはまったく別物である。なんであれ、言論の自由は守らなければならない。そのなかには、自衛隊はどんなものであれ許さないというものがあっていいし、展示であれ出版物であれ、それ自体を止めてほしいというのも、言論の自由の中に含まれると思う。

 

 でも、それは同時に、「慰安婦の展示はするなよ」とか、「天皇が焼かれる場面を見たくない」とか、そういう言論も許されるということである。あるいは、「公費を使って展示していいのか」という言論も自由であると思う。

 

 ダメだと思うのは、展示するなり出版するなりを左右できる権限をもったものが、「それをするならカネを出さない」とか「会場を貸さない」とか言うことである。さらに、愛知の例のように、「ガソリンを撒くぞ」とか「小学校を襲うぞ」とか、脅迫を伴う言論である。それは犯罪に等しいから、守られるべき言論の自由に値しない。ヘイトスピーチも、どんな差別的言論も許されないというものではなく、威圧的だったり繰り返しで恐怖を与えたりするものが、「犯罪」の領域に入ってくるのだと感じる。

 

 言論の自由に関しては、そういうことだ。ただ、どのような言論であれ、その結果には責任を負わなければならない。

 

 問題になった大丸は、あの阪神大震災の被災地に建つ百貨店である。しかも展示されるのは、災害の時にも必要な輸送車だったという。何としてもそれを止めさせようとする言論が、あの震災の記憶を心に留めている人々のどう響くのか、それは考えなければならない。

 

 9条に自衛隊を明記するという安倍さんの加憲案が出て以降、護憲運動の中では、「自衛隊をどう批判すれば加憲案を葬り去れるか」という思考が強まっていると感じる。だから、9条の会の会議などでも、展示をやめさせたことなどが護憲運動の「成果」として語られるようになる。それで加憲案がダメージを受けると真剣に考えているとしたら、護憲運動の未来は暗い。