11日(日)は、もう数年続けている「歴史総合研究会」があって、会社まで行ってきた。西洋史、東洋史、日本史の偉い先生方に集まってもらい、それらを統合した歴史学講座を刊行するという意欲的な試みである。

 

 すでに各巻の担当は決まっていて、前回(昨年末)は、「文明」と「国家」をテーマにした巻について議論した。今回は、「近世化」「近代化」とでも名づけるような巻である。

 

 「歴史総合」というのは、日本と世界の「現代」につながるテーマでやっていくのが基本で、だから「文明」とか「国家」を扱い、過去の「文明」や「国家」を論じる場合も、現代的な問題意識で論じることになる。「近世化」「近代化」というのは、そのまま我々が暮らす現代につながるものなので、なぜ「現代」がこうなっているのかを考える上で不可欠なテーマだと思う。

 

 実際、ヨーロッパの「近代化」って、そのまま現代世界のモデルになったような時代だ。フランス革命の人権宣言とかアメリカの独立宣言とかが、「普遍的」な価値観と思われ、現代をかたちづくっている。

 

 しかし、普遍的価値観をつくったヨーロッパの「近代化」が、アジアやアフリカなど他の世界への蔑視を生み出すことにもなる。それまで、例えばオランダの東インド会社の提督などが本国に送った報告などを読むと、アジアやアフリカの人々を讃える記述に満ちあふれているという。自分の偉さを強調するため、相手も偉いということにしたという要素もあるそうだが。

 

 ヨーロッパで動物虐待が否定されるのも「近代化」の中でのことだ。だが例えば日本では、徳川時代に生類憐れみの令が出されている。京都では古くから、お盆になると「放生池」と言って、どんなに大事に育てていてもすべて自然に帰さなければならない風習もあったそうだ。

 

 ところが、人権思想が確立して以降、アジアとアフリカは「野蛮世界」とみなされるようになるわけだ。そういう世界観を生み出した人権思想の普遍性って、何なんだろう。

 

 ということで、西洋史、東洋史、日本史の大家が集まると、刺激的な話になっていく。どんな講座になるのか楽しみだ。