これは韓国が少しまともな国になれば解決するものではない。日本が歩み寄れば何とかなるというものでもない。克服することが容易ではない、むちゃくちゃ大きな課題である。ようやくそんな論評が出始めていて心強い。

 

 だって、植民地と宗主国との関係の確立というのは、ふつうなら独立戦争を通じて達成されるものだ。お互いが何万人、何十万人と殺し合い、宗主国側が力尽きて決着するという道筋を通ってくる。だから、植民地の側も、犠牲は大きいが「宗主国に勝った」という達成感があり、言葉は悪いが「優越感」的な感情も生まれる。

 

 ところが、韓国の独立は、ある日、突然やってきた。戦った実感がほとんどないまま訪れた。「いや、亡命政府をつくって戦った」という人もいるし、現在の韓国憲法もそういう立場だけれども、国民の実感は存在しない。だから、この問題へのこだわりが生まれるのだ。

 

 しかも、他に事情がなければ、独立したあと、日本を条約交渉を通じて徹底的に批判し、日本が屈服するまで条約を結ばないという道を通れば良かったのだ。ところが、北朝鮮という「共通の敵」が目の前にあって、支配者であるアメリカからは「いつまでいがみあっているのだ」とせっつかれ、いやいや日韓条約と請求権協定を結ばざるをえなかった。韓国で歴史問題にこだわる人はいたが、「反共」の大合唱の前には無力であったり、戦後ずっと続いた独裁政権に弾圧されたりした。

 

 そこに変化が訪れているわけだ。もう独裁政権が復活することはない。この十数年、韓国では民主化と歴史の見直しが一体のものとして進んできた。

 

 その矛先は、いま、ようやく宗主国であった日本に向かっているというのが、歴史的に見たこの問題の位置づけである。韓国にとっては半世紀以上をへてようやく訪れた機会なのだ。

 

 同時に、日本にとっても、半世紀以上にわたって常識となってきた問題をつきつけられている。しかも、植民地支配はいまや違法だが、かつては合法だったというのは、日本にとっての常識というだけではなく、国際法の常識でもある。日本だけが変われと言われても、変われない。

 

 そういう種類のものとして、本格的に研究し、議論することが求められる。独立戦争で何十万人が死ぬよりもこちらのほうが幸福だというくらいの気持ちで取り組むべき問題である。そう簡単に終わるものではない。