最近になっても、安重根などをどう評価するのかで、日韓の違いが露呈することがある。韓国側にとっては解放運動の英雄だし、日本政府は「殺人犯」とすげない。それで両国民の感情にわだかまりが深まる関係だ。

 

 本来、植民地支配をどう総括するのかは、65年の条約審議の際、ちゃんと議論しておくべきであった。ところが、前回少し書いたように、どの党もほとんどまったく、政府を追及するようなことをしていないのだ。

 

 その中で孤軍奮闘したのが、公明党の黒柳明であった。現職の頃にはいい印象がなかったけれど、なかなかいい質問をしている。例えば、

 

 「日韓修好条規から……日韓併合条約に至るまでの数十件の条約、協定、議定書などをどのように評価するかという問題である。つまり、これは日本が朝鮮を植民地化したという歴史的事実を、今日現代の世界の良識から見ていかに評価すべきかという問題である。椎名外相は書著の中で、朝鮮、台湾、満州の植民地下を「栄光の帝国主義」とたたえており、これは論外である。総理は衆議院の特別委員会で、旧条約は「対等の立場で、自由な意思で結ばれたと思う」と答弁している。我が国の武力、威圧により、朝鮮が屈した実例が幾多もあることをふまえてもらいたい」

 

 佐藤栄作総理と椎名悦三郎外相の答弁は、結局、変わらなかった。しかし、黒柳さんは、続いて文部大臣をこうやって攻めるのだ。

 

 「文部大臣には、1960年12月14日の国連総会で日本も賛成している「植民地諸国、諸人民に対する独立付与に関する宣言」という現代の世界の良識から照らして、朝鮮民族の過去の独立運動は正当なものであったか否か、お答え願いたい」

 

 これに対して仲村梅吉文相は、こう答えている。

 

 「韓国における独立運動については1960年の国連総会で「植民地諸国、諸国民に対する独立付与に関する宣言」が採択されており、同宣言の趣旨からすれば、韓国における独立運動は妥当なものであったと見るのが正しいと考える」

 

 まあ、この時点においても、安重根に関する評価を問えば、政府は「殺人犯」と答えたのだと思う。日本国の法令が適用されていた地域で、その法令に違反したことは事実なのだから。

 

 しかし、問題の性格をこの質問のように変えて見ると、こうした答弁になるのも当然なのだろう。独立というのは宗主国から恵みとして与えられるものでも、ある日突然降って湧いてくるものでなく、この「宣言」の通り、独立運動を通して勝ち取られるものだからである。「宣言」を支持しておいて、独立を導く運動を否定するわけにはいかないということだ。

 

 そして、このような追及と答弁とがあることが広く知られていけば、少しは日韓の間のわだかまりを埋める可能性は生まれると思うのである。甘いかなあ。(続)