おととい、ある9条の会で講演した際、質問の中でトランプ発言に関するものがあった。安保条約は不平等だから廃棄する、というあの発言である。それが現実のものになったらどうするのかというのが、質問の趣旨であった。

 

 実際、日本政府のあわてぶりを見ていると、情けなくなるよね。「それは米国政府の正式な考え方ではない」というならまだしも、「そんな発言はしていない」なんて言う人も出てくる始末だ。年金報告書と同様、「なかったことにすれば問題にならない」というのは、この政府の考え方のスタンダードになったように思える。

 

 では、安保廃棄を望む勢力は、これをどう受け止めるのか。共産党の志位さんは、引用元が産経の報道で申し訳ないけれど、「本当にやめるというなら結構だ。私たちは日米安保条約は廃棄するという立場だ。一向に痛痒(つうよう)を感じない」(6月25日の記者会見)と述べたとされている。

 

 この日の記者会見の内容は、翌日の「赤旗」に載っているけれども、内閣不信任案と参議院選挙のことしか記事になっていないので、産経報道がどれだけ信用性があるかわからない。まあだけど、この報道に対して訂正を求めたという記事はその後もないので、こんな感じだったのだろう。

 

 痛痒を感じないのは当たり前すぎるというか、安保廃棄の政党がそんなもの感じるわけないじゃん。なんとなくだけど、「これで安保廃棄へ勢いを付けるぞ」という迫力が感じられないと思うのは、この私だけか。

 

 私が講演後の質疑応答で言ったのは、「いつでも安保廃棄の準備は出来ている」というものあった。私自身もそうだし、私が事務局長をしている「自衛隊を活かす会」(代表=柳澤協二)も同じだ。

 

 政府が慌てふためくのは理由がある。アメリカの圧倒的核抑止力に頼ることだけが日本政府の防衛戦略であり、思想であり、政策であるからだ。政府が唱える「専守防衛」は自衛隊だけの行動を律するスローガンのようなものであって、防衛戦略、思想、政策は、もっぱら防衛に徹するというのではなく、アメリカに頼んで相手を核兵器で壊滅してもらうというものだからだ。

 

 しかし、「自衛隊を活かす会」は、専守防衛を実質的なものにするため、この4年間、いろいろ努力してきた。在日米軍がいたとしても、専守防衛を守らせるわけだから、いなくなったとしても防衛戦略は本質的に変える必要はないのだ。政府以外の野党が努力してきたかどうか知らないけれどね。

 

 だから、それが現実のものとなったとき、「さあ、用意はできているぞ」と堂々と言えなければならない。心の底からね。