九条護憲の立場の本は引き続き出ている。護憲運動も続いている。しかし、ハッとするような新しい理論の提示とか、運動提起とかにはお目にかかれない。不勉強なだけかもしれないが。

 

 その理由というか、背景の一つにあると思われるのが、護憲派が野党共闘に望みをかけていることにあると言ったら、しかられるだろうか。いや、そこに希望をもつのはいいのだが、そこに目を奪われすぎて、国民のなかで生まれているさまざまな九条をめぐる考え方をすくい取り、護憲派としての理論を深め、提示していく努力が少ないのではないだろうか。

 

 例えば伊勢崎賢治さんがいつも提起する問題にも、護憲派からの真剣な回答が見られない。自衛隊が国際人道法違反を犯した際に処罰する法体系を日本が持たないでいいのかという問題だ。

 

 「九条で戦争しないことになっているから、戦争を前提とした法体系は不要だ」というのが護憲派の回答であるなら、戦争を前提とした自衛隊法の即時廃止(自衛隊の廃止でもある)もあわせて主張しないと合理性がないけれど、そう主張するだけの覚悟もない。自衛隊がある限り向き合わなければならない問題なのに、将来は自衛隊を廃止する立場だからといって、当面する問題から逃げているように見える。

 

 問題は、野党共闘で政権ができたとして、その政権は自衛隊を維持した政権だということである。将来の廃止さえ一致点ではない。だから、野党だって、自衛隊をめぐって存在する問題、矛盾に解決策を示さなければならないということだ。

 

 ところが野党はあまりにバラバラで、解決策を一致して示すことにならない。「安倍政権のもとでの改憲反対」ということだけでは、本当に政権を任せられるのかと国民は不安に思うだろう。

 

 つまり、野党共闘政権に護憲の望みをかければかけるほど、その野党はバラバラなのだから、政権を任せることへの不安がふくらむという構造である。政権をともにするというなら、そういう不安を国民が持たないよう、どんな問題でも腹を割って話し合うような関係にならなけれればならないし、そんな関係でないなら政権は任せられないといいうことである。

 

 まあ、野党共闘は成長途上というより、開始されたばかりである。「2000万円」問題も含め、ケンカ覚悟で議論することが求めらるように思える。