書き始めるといつまでも止まらないので、とりあえず終わっておく。詳しくは本で読んでいただければ嬉しい。

 

 韓国の戦後政治を特徴づける反共と独裁の頂点が、1980年のいわゆる光州事件。韓国政府がのちに認定し、補償しただけでも、死者が154名、行方不明者が70名をはじめ、合計で5060名にものぼるのだから。機動隊だけでなく空挺部隊や陸軍師団なども投入された。

 

 これが韓国が転換するきっかけとなった。それまでは北朝鮮と対峙するため独裁を許容していた面があるわけだが、この大弾圧が在韓米軍司令部も許可したことが知れ渡り、米軍が韓国の国民の命など真剣に考えていないのではと疑念を抱かせたのだ。

 

 それでも90年代初頭までは北朝鮮の核疑惑もあり、一筋縄ではいかなかった。しかし、軍人が大統領になる時代が終わりを告げるなかで、金泳三政権で光州事件の首謀者である全斗煥や盧泰愚などが起訴され、その後、金大中が南北首脳会談をやって、北朝鮮とは対話の道もあることが示された。

 

 こういう経過の中で、追及すべき過去が、戦後の軍事独裁政権の時期だけでなく、戦前の植民地支配の時期にも及んでいく。03年に成立した盧武鉉政権は、植民地期の問題を究明する「親日清算法」(日帝独占下親日反民族行為真相究明特別法、04年)、植民地期と戦後期も含むすべての事案を包括する「過去史法」(真実・和解のための過去史整理基本法、05年)をつくる。これは、朴槿恵が党首をしていた当時の野党も賛成したものだ。その意味で、少し違いはあっても、保守と革新を問わず、そういう韓国の国民はそれを支持している。

 

 植民地支配が終わっても、その時代に味わった苦悩を問題にできない戦後体制が半世紀以上も続いたことが、現在、韓国国民をこうした行動に駆り立てているのである。その責任追及が韓国の国民に止まらず、日本の企業にまで向かっているのが、いま焦点となっている徴用工問題だ。

 

 韓国内の問題であれば国民主権の範囲であり、過去と現在で対応が変化してもあり得ることなのだが、変化した現在の到達に立って、外国との過去の合意をくつがえすようなことができるのか、できるとしたら根拠や範囲はどうなるのかが、現在問われているわけである。韓国が反共の最前線基地だったおかげで、日本はそれなりの自由と民主主義を得られたわけでもあるし。(了)