さて、写真の本田翼と小倉久寛が乗っているのが、空母「いぶき」である。この映画、主役として空母を登場させていることが、もっともチャレンジングなとことであろう。

 

 自衛隊を原理的に否定する護憲派にとっても、専守防衛ならOKという護憲派にとっても、空母は鬼門である。よく知られているように、これまでの政府の長い憲法解釈のなかで「空母は憲法違反」という考え方が定着してきたからだ。より正確にいうと「攻撃型空母は憲法違反」であり、空母一般を否定してきたわけではない。では、攻撃型空母とは何か。昨年、参議院予算委員会で共産党の小池さんが質問して、小野寺防衛大臣(当時)がこう答えている。

 

 「それ自体直ちに憲法上保有することが許されない攻撃型空母とは、例えば極めて大きな破壊力を有する爆弾を積めるなど大きな攻撃能力を持つ多数の対地攻撃機を主力とし、さらにそれに援護戦闘機や警戒管制機等を搭載して、これらの全航空機を含めてそれらが全体となって一つのシステムとして機能するような大型の艦艇などで、その性能上専ら相手国の国土の壊滅的破壊のために用いられるようなものが該当するのではないかという形の答弁をしているところであります」

 

 空母に何を搭載すれば憲法違反かは大事な問題である。だから、「対地攻撃機」ともなるF35を搭載すれば憲法違反になるのではないかと追及されるわけである。ただ、映画の「いぶき」搭載機は、島を奪った相手国まで出かけていって「対地攻撃」をするわけではない。ましてや、「相手国の国土の壊滅的破壊」をしているわけではない。あくまで日本の領土を防衛するため、日本の領海上にいて、日本を侵犯した相手と戦うわけである。

 

 憲法違反かどうかの最大の基準は、その兵器を専ら防衛のために使うのか、専ら「相手国の国土の壊滅的破壊」のために使うかだ。もちろん、使い方によっては相手国の国土の壊滅的破壊」のために使うことも可能なものを持っていいかという議論はあり得るが、それは武器の性能の問題である以上に、政府が専守防衛を守る範囲で武器の投入を決めるかという問題である。

 

 だから大事なことは、憲法論議に入る前に、日本の領土を奪った相手に対して、自衛隊が艦船や航空機を出動させ、日本から追いだすまで戦うということはどうなのかという議論が不可欠だろう。そこもダメというなら、市民運動としては尊重されるべきだが、政権をめざす運動にはならない。

 

 そして、そういう戦いはOKというなら、それをどういう手段でやるべきかという次の議論になる。この映画の原作者であるかわぐちかいじさんは、朝日新聞のインタビューで、「日本は、領海を含めた排他的経済水域の面積で世界第6位の広さを持ちます。広大な領海や、そこに点在する島々を、陸上基地から発進する航空機だけで守るのは難しいので、自衛隊は空母を持つ方が現実的かもしれない」と述べている。それは一つの見識であると思う。

 

 空母がダメというなら、点在する島々に自衛隊の基地を置くしかなくなる。それは、いま南西諸島で問題になっているように、市民の反対運動が存在する。相手国の目の前に部隊を配備することは挑発になるという考え方もある。

 

 ということなら、南西諸島には配備せず、空母で代替するという考え方もあるのではないか。ただし、この議論はあくまで日本防衛に限ったものである。米艦防護のために日本から離れてインド太平洋の広い海域に自衛隊を出動させることが現実味を帯びている現在、それに反対するのは当然である。しかしいずれにせよ、それに反対するなら専守防衛での運用はOKなのかということに回答が必要だということであり、そういう議論を現実味をもってしなければならないというのが、この映画の教えてくれることであった。