本日だけ自衛隊と9条という主題から外れる(明日で連載は終わり)。自衛隊の組織のありようというか、決定に至るプロセスというか、組織の民主主義と決定への服従という問題である。

 

 この映画でも主役は空将補という肩書なのだが、同じ肩書を持つ林吉永さんのお話を伺うことがたびたびあった。そこで私の自衛隊観がかなり変わったのだ。

 

 自衛隊というのは、誰が見ても、上意下達でなければならない。上官の命令に従わないことをよしとしてしまったら、侵略に抗して戦うことなんてできないのは明白だ。戦前の日本軍のイメージも、ただただ上官の命令に逆らえない部下、という感じだった。

 

 だから、林吉永さんが、日本の領空を侵犯したソ連軍機に対して、上官が信号弾を発射せよという命令を下すことを昨日も紹介した本で述べているのに対して、「反対」という意思表示(意見具申)をしたことをお伺いして、かなりレアケースだろうと思っていた。

 

 しかし、この映画でも、上官への意見具申の場面が何回か出てくる。相手国との戦闘に入ることについて、部下がいろいろな意見を述べ、上官が「意見具申はそれでいいか」と確かめ、その上で、上官が決定し、部下がそれに従うという場面である。

 

 いまの自衛隊がどうなっているかは知らない。けれども、林さんのお話といい、この映画といい、そういう場面が頻繁に出てくるのは、現実の反映だと思いたい。大事なことである。

 

 だって、その自衛隊の決断が、日本をさらなる戦闘の激化に向かわせるのか、それとも戦闘の終結につながるのかに関わるのである。最終的には上官の命令に従うのは当然だろうが(責任は上官がとるのを前提にしてだが)、それぞれの自衛官が感じることを自由に述べた上で決定が下されるのかは、当たり前のことである。

 

 自衛隊でなくて、市民運動団体とか政党とかであっても、そういうことは望まれるだろう。メンバーの自由な「意見具申」があって(というか、意見具申を喜ぶ文化があって)、決定が下されるということだ。

 

 だけど、そういう組織なら、自由に意見具申ができなくても、その結果、組織が弱まったり滅びたりしても、その組織の自己責任なのだ。けれども、自衛隊の場合は、部下の意見を尊ばないで、その結果、重大な間違いを犯すことになったら、滅びるのは自衛隊だけではなく、この日本という国なのだ。

 

 だから、もし自衛隊に自由な意見具申を尊ぶ文化があるとするなら、それを大事に育ててほしい。それが映画を観た感想の一つである。(続)