百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録されそうだということで盛り上がっている。それとは直接には関係ないのだが、以前からこのあたりを訪ねる個人的な用事があって、だったら古墳もついでに見てこようということで、本日いまから出かけてくる。

 

 今回は古市限定。このマップの3つのコースとは違うけれども、土師の里駅周辺を見て、古市駅周辺まで南下し、そこから藤井寺駅までだ。5時間はかかるかな。

 

 だいぶ前になるが、『古墳は語る』という本をつくった。そのタイトルにあるように、古墳からは「国家の起源」がわかってくる。日本の家族のはじまりとか、当時の産業革命の様子まで見えてくる。ワクワクするよね。

 

 今回、50近い古墳群すべてを登録した意図は、当時の権力構造を示すということにあると言われている。大きな墓を持つ強大な権力がある一方、それを支えるものには小さな墓しかつくられなかった。やはり「国家の起源」というものへの理解は進むと思う。

 

 天皇の墓を登録するのは政治的意図があるとか、ピラミッドや兵馬俑と比べるなとか、いろんな議論はあるのだろう。だけど、そこから見えてくるものが面白いと感じる。

 

 当時、どの国においても、権力者は大きな墓をつくろうとした。そういう巨大さでしか権力をあらわせなかった時代が共通してあるのが面白い。人民の共感などではないんだね。

 

 小学校の頃の社会科では、仁徳天皇について、民のかまどから煙が立っていないのを見て貧しさを理解し、取り立てるのを何年か猶予したという話を聞かされた。でも、そういう人格の人だったら、あれだけ大きな墓をつくれば人民の租庸調がどんなに過酷なものになるのかくらいわかるだろうから、嘘くささをぬぐえなかったのを記憶する。

 

 同じ教科書だったかは忘れたが、ピラミッドをつくるのに人民が苦しみながら石を運んでいる絵などもあったから、大きな墓の意味って小学生にもいろいろ考えさせたはずだ。やはり当時の権力者は、人民を共感ではなく畏怖させることで統治していたわけである。日本に限ったことではないけれど。それを後の時代の権力者が、人民に受けるように脚色するわけだね。古墳はそういう真実を語ってくれる。

 

 まあ、そういういろんなことを考えながら、本日、行ってきます。明日は体験記かな。