共産主義をただちにロシアに導入しようとするレーニンの試みは成功しなかった。国内的にも国際的にも壁にぶち当たった。

 

 国内では、資本家を放逐したことで、企業経営がうまくいかなくなった。富農を放逐し、農地を配分した小農から剰余農産物を取り上げたが、どうせ取り上げられるならと、農民が農業に励まなくなった。貨幣をなくし、物々交換のようなやり方をしてみたが、結局、市場の圧力にはかなわなかった。

 

 国際的にも、世界同時革命が起こらないどころか、ロシアを承認する国は一つも現れない(政治的には仕方なかっただろう)。商売っ気のある国も、「こんな国に投資していては、いつ企業が没収されるかわからない」として、商業ベースで付き合う国も出てこなかった。

 

 レーニンは、共産主義がすぐに実現できないことを理解し、革命後の取組は「戦争という非常時に余儀なくされたもの」として、ただちに市場経済の導入に踏み切った。資本家も復活した。

 

 それが評価されて、ソ連は1922年に経済復興のためにイタリアのジェノヴァで開催された国際会議に招聘される。ようやく世界各国と同席することを許されたのが。レーニンは、「「われわれがジェノヴァへ赴くのは、もとより共産主義者としてではなく商人としてであり、我々は商売をしなければならないが、彼らも商売をしなければならないのである」と述べている。政治的な利害は異なるけれど、経済的にお互いの利益を確保しようとすると、どこか共通点があるだろうという判断である。

 

 イギリスなどはそれに応え、ロシアと商売しようとしたが、当時はうまくいかなった。けれども、この会議中に、ソ連はドイツと接触し、世界各国の中で初めてソ連の承認を勝ち取ったのである。世界各国らか「利権」を得ようとするレーニンの取組はその後も続く。

 

 要するにレーニンは、共産主義の理想を放棄したわけではなかったが、理想を実現するには回り道が必要だと理解したのだ。国民も納得し、世界各国とも協調できるやり方である。

 

 文在寅も同じことができれば、このブログのタイトルは意味があったということになる。親日清算という理想を堅持しつつも、日本と日本国民の理解を得るやり方を模索するという、レーニンのような現実への適応ができるようになるのかということだ。

 

 あるいは日本も、現実的な対処を求めつつも、文在寅の理想自体は理解できるようになるのかという問題がある。第一次大戦後、8時間労働制が普及したりしたのは、ソ連が掲げる理想が世界に広がるのをおそれた各国が、自己改革を迫られたからだ。

 

 文在寅の理想をただただバカにしていると、植民地支配の後遺症に苦しむ国が結束して旧宗主国にかかって来ることもあるかもしれない。日韓和解のためにはその両方が必要なように思う。(了)