『日韓が和解する日』の執筆をしながら(苦労してます)、韓国の文在寅大統領をどう評価するのか、いろいろ考えている。韓国内では支持率が落ちてきたとはいえ、市民的にはなお人気を保っている。日本国内では全般的に評判が悪いが、一部市民運動派には熱烈な支持がある(安倍さんを嫌う反動かもしれないが)。

 

 そういう人物をどう評価するのか、なかなか難しいところだ。今のところ、言い過ぎかもしれないが、雰囲気としては「革命直後のレーニン」っぽいなあと思う。

 

 文在寅に対して、日本では「市民運動そのままを政治に持ち込んでいる」みたいな批判がある。批判されている中身の可否はともかく、市民運動の要求と政治の現実を区別しないのが文在寅流ではある。韓国の市民運動派は、「市民運動の願いを実現するのが政治の本来の在り方だ。それって当たり前のことでしょ」という。

 

 革命直後のレーニンも、共産主義の理想をそのまま政治に持ち込もうとした。共産主義では市場も商品もなくなるということで、貨幣を廃止してみたりした。対外的にも、例えば国際連盟について、資本主義を基礎にした国際組織は「まったくの作りごとであり、まったくの欺瞞であり、まっかな嘘である」として、コミンテルンを通じて世界を共産主義化し、国際連盟に替わる国際連帯を実現しようとした。

 

 既存の国内秩序、国際秩序との衝突を意に介さなかったわけだ。ここが文在寅と似ている。

 

 第一次大戦で「祖国防衛支持」にまわった各国の共産党とも袂を分かってロシア革命を成功させたレーニンである。戦争を嫌う国民の圧倒的な支持があった。共産主義の理想をかかげて奮闘し、政権をとったのだから、共産主義が目前にあると思えたのは当然だったかもしれない。

 

 文在寅がいまのような反日政策をとるのも歴史的な理由がある。普通だったら植民地支配から独立した国は、植民地支配をさんざん批判して、宗主国との間で戦争して勝利したりするのである。宗主国との争いは、ある意味で決着する。

 

 ところが韓国はそうならなかった。アメリカに占領され、日本ではなく北朝鮮こそが批判すべき最大の相手とみなされた。実際、北朝鮮から侵略され、北朝鮮が敵になる。

 

 その敵に対抗するため、日本とも同盟を結ばないとダメだということで、ずっと日本批判ができないでいた。それがようやく北朝鮮批判より日本批判が優先できる時代がやってきたのである。70年以上抑えられてきた気持ちが爆発しているわけだ。

 

 ただ、そういう理想と、世界政治の現実は合致しない。世界政治では、過去の植民地支配は合法だったという考え方がそのまま維持されている。そこのギャップがあって、日本の世論とも折り合いがつかないわけである。

 

 レーニンも同じ問題に直面した。(続)