だいぶ前に買ったのだけれど、忙しくて目を通せなかった。本日、東京出張の新幹線の中で読み始めた。まだ序文を終えただけなのだが(それだけで26頁もある)、期待に応えてくれそうだ。

 

 日本の植民地支配と、欧米によるそれとの比較というのは、私の一貫した問題意識である。その二つは同じものなのか、違ったものなのか、そういう比較をしていいのか、その他その他、考えなければいけないことは山のようにある。

 

 現在の日韓関係に象徴されるように、日本にいると植民地支配の過去というのは、つねに問題になってくる。一方、宗主国の大先輩であるフランスを横から見ていると、それほど問題になっているように思えない。私が不勉強だからということもあるかもしれないが、フランスの植民地支配の研究者である平野氏も、同じ感想を共有している。

 

 そういう現実があるものだから、それを説明する根拠として、日本の植民地支配の苛烈さは世界に例を見ないものだったという見方が流布されることになる。そうでも考えないと、韓国の日本に対する要求の激しさが理解できないということなのだろう。あるいは、先日、ある講演会でその話をしていたら、「フランスはアルジェリアの人々にフランス国籍を与えた。そこが日本と違う」と言った人もいた。

 

 しかし、植民地支配の過程で何万、何十万人と殺された地域もあったわけで、支配の苛烈さを比較するのは無理があるように思える。フランスの国籍問題についても、文化的に見ると同じ国民にすることによって文化や宗教を奪うという側面もあるわけで(同一化政策)、単純に言えることではない。

 

 平野氏によると、フランスにおける植民地支配の受け止めは、以下のようなものだそうだ。

 

 「植民地主義の肯定的な側面を語ることは、必ずしも「修正主義」に直結されず、むしろ歴史の一側面として肯定的に捉えられる傾向もある。政治的立場の左右で、支配の歴史への向き合い方が明確に異なるわけでもない。そのような状況からは、何らかの責任論が生じる余地はあまりない」

 

 平野氏は、日本の研究者として、朝鮮半島に対する植民地支配の責任を痛感する立場である。しかし、フランスの植民地支配を研究してきた人として、フランスの支配が日本より苛烈でなかったという立場にも異を唱える。

 

 同時にそれではフランスの場合なぜ、支配する側が責任を感じないだけでなく、支配された側が独立ではなく同化を求めるような側面があったのか。そこに強烈な問題意識を持っているわけである。

 

 出張中に読み切りたいな。これを読み終わったら、徴用工問題の本の執筆を開始する予定。