伊藤真さんがやっているところですね。掲載されているのはここです。といっても、自分の本である『北朝鮮問題のジレンマを「戦略的虚構」で乗り越える』のPRをしているだけなんですけど。以下、全文。

 

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 こういうタイトルの本を先月上梓した。どんな本か想像できるものだろうか。

 

 タイトルの前半にある「北朝鮮問題のジレンマ」というのは、多くの人の実感であろうから、想像するのに難しくないと思う。つい1か月ほど前、米朝首脳による2回目の会談が開かれたが、何の成果も生み出すことなく終わった。核兵器が生き残りのために不可欠だと考えている国に対して、生き残りのために核兵器を放棄せよと迫ることがどんなにジレンマに満ちたことなのか、この一事をもってしても明らかであろう。本書の帯に推薦文を寄せてくれた内田樹氏も、北朝鮮の非核化について「このきわめて困難な(ほとんど不可能な)課題」と述べておられる。

 

1、これまで実行された様々な選択肢の破綻

 

 それでも北朝鮮の非核化は何としても達成しなければならない。何よりも日本を含む北東アジアの平和と安全のために必須だからである。問題は、どうやったらこの課題を達成できるかだ。

 

 ある人は戦争で北朝鮮を滅ぼすしかないと言う。しかし、平和のために戦争するというのでは、ジレンマどころの話ではなくなる。1000万の人口を抱えるソウルの近くで戦争すれば100万人単位で死者が出ることは、アメリカでさえ認めていることだ。しかも、イラク戦争後の中東の混迷で実体験したように、北朝鮮を戦争で滅ぼしても、その後の北東アジアが現在より平和になることは誰も保証できない。

 

 北朝鮮を経済制裁で締め上げていけば、そのうち根を上げ、政権が倒れるか核を放棄するという人もいる。しかし、そういう方法でやってきたのがこの20数年であり、その結果、北朝鮮は核もミサイルも手に入れたことを忘れてはならない。経済制裁の効果は否定しないが、北朝鮮の経済は後退を続けつつも崩壊しなかった。最近では、市場経済の導入により、貧富の格差は広がっているが、他方では経済成長も見られるという。

 

 別の人は北朝鮮に十分な見返りを与えればいいのだと言う。しかし、同様の合意は過去2回にわたって結ばれ、北朝鮮に安全を約束したり、国交正常化の道筋を示したり、エネルギー事情改善のために原子炉建設を開始したりしたのだ。ところが、責任のありかについては双方に言い分があるだろうが、結局、どの合意も破綻することになった。

 

2、好戦的な体制の改革を求める国連人権理事会報告書

 

 では、以上のようなやり方に替わり、どんな選択肢があるのか。筆者が「この方向しかない」と感じたのは、国連の人権理事会に2013年に任命された北朝鮮問題の調査委員会が、翌14年に公表した調査報告書(2014年)を読んだ時だった。

 

 この報告書は、まず北朝鮮の人権問題の深刻さを明らかにする。詳細は省くが、北朝鮮が「独裁支配に満足せず」として並みの独裁国家でないとの認識を示し、「現代世界に類をみない国家」「全体主義国家」だとしている。ヒトラー・ドイツのようなものだということだ。

 

 多くの人が知っているように、ヒトラーが世界各国に戦争をしかけるに至ったのは、ユダヤ人を大量虐殺するという国内体制と一体のものであった。その教訓を踏まえ、国連は二度と同じような戦争を起こさないためにも、平時において人権と自由を尊重する体制をつくることを不可欠だとする思想の上に結成された。国連の中に人権委員会(現在は人権理事会に改組)を設置し、世界人権宣言や国際人権規約をつくってきたのもその一環である。

 

 その国連人権機関の目から見ると、現在の国連安保理のとっている路線は二重に間違っているそうだ。一つは、北朝鮮が平和を脅かす核開発に邁進するのは国内体制に起因しているのに、そこに目をふさぐどころか「体制保証」に躍起になっていることである。もう一つは、北朝鮮政府によって抑圧されている弱い人々の人権を守らなければならないのに、安保理による経済制裁がそういう人々の人権を無視していることである。こうして国連の報告書は、北朝鮮を核兵器を持たない「平和国家」に転換するためにも、人権と自由を大切にする国内体制を実現することを呼びかけるのだ。

 

 これは一般的には正しいことであろう。しかし、報告書は人権抑圧の責任者として金正恩を裁判にかけることまで提唱しており、「現実味がない」というのが当初私が持った印象であった。

 

3、「国体護持」で戦争をしない国になった日本にしかできない

 

 その私が報告書の方向はこうやったら実現するのではないかと感じたのは、最後にある具体的な政治改革の提言に目を通した時だった。どこかに既視感を持ったのである。第二次大戦後の日本が占領軍に押し付けられ、実現してきたのとほぼ同じだと思ったのである。

 

 報告書が北朝鮮に求める独立した公正な司法、多党政治システム、自由選挙による議会の導入などはその最たるものだ。日本国憲法も、戦前の独裁体制を否定し、三権の分立、 政党結成の自由、民意を反映した議会制度を規定した。報告書にある「反国家罪」「反人民罪」の廃止と、そういう罪に問われた人々の釈放は、日本でいえば治安維持法の廃止と政治犯の釈放のようなものである。国家安全保衛部の廃止は特高警察の廃止と同じだ。北朝鮮軍の任務を自国防衛に限定することを求めているのも、日本が「専守防衛」という考え方に立ったのと似通っている。

 

 そういう文字面だけの話ではない。実際の日本も、戦前の独裁体制から「民主国家」になり、戦争でこれまで1人も殺さない「平和国家」にもなった。何より大事なことは、北朝鮮が「体制保証」を要求しているけれども、日本も「国体護持」に固執し、天皇制を守ったことだ。

 

 こうした考え方には異論も多いと思う。日本が「民主国家」「平和国家」だというのは、安倍政治を忌み嫌う人々には受け入れられないだろう。現在の象徴天皇制をもって「体制保証」と同等と言えるかは、戦前回帰をめざす人々にも、天皇の役割を限定しようとする人々にも、等しく反発を受けるだろう。つまり誰にとっても「虚構」なのである。

 

 けれども、北朝鮮に核兵器を放棄させるという、「ほとんど不可能な課題」(内田樹氏)を実現するためには、これまで選択肢とされてきた経済制裁、見返りとしての体制保証に加えて、新しいアプローチが不可欠である。日本の政治改革は占領によって強制されたから実現したものであって、占領もされていない北朝鮮に政治改革を実行させるのは、並大抵の努力では不可能である。それが、たとえ虚構を含むものであっても、「これなら実現できる」と誰もが思える物語の構築なのである。だから「戦略的虚構」と呼ぶのである。

 

 その物語の提示は、物語を誕生させた日本にしか出来ない。天皇制を残した日本、戦後一度も戦争していない日本、北朝鮮が夢みるような経済復興を成し遂げた日本。その姿を提示しながら、日本が先頭に立って働きかけていくしかない。本書で提示しているのはそういう道筋である。

 

松竹伸幸(まつたけ・のぶゆき)

編集者・ジャーナリスト、「自衛隊を活かす会」事務局長。

1955年、長崎県生まれ。一橋大学社会学部卒業。日本共産党政策委員会安保外交部長などを経て、2006年より出版社に勤務。現在に至る。

主な著書に、

『改憲的護憲論』(集英社新書)、『対米従属の謎』『集団的自衛権の深層』『憲法九条の軍事戦略』(平凡社新書)、『慰安婦問題をこれで終わらせる』(小学館)、『「日本会議」史観の乗り越え方』(かもがわ出版)など。