まだ19歳というのにしっかりしてる。大学で日本学を勉強し始めて1年半というのに、恐るべき日本語能力。

 

 いろいろ経緯がありまして、8年目を迎える3.11の福島ツアーに参加されるために来日し、その後、各地を旅しておられるミルダさん。昨日、大阪の梅田で引き継ぎを受け、まず宝塚歌劇(宮本武蔵だそうな)を観に行かれました。

 

 それは私には解説能力がないので、夕方、我が家の近くで再会。家の近くにある今城塚古墳と大田茶臼山古墳を案内するのが私の役目だったのです。

 

 順調にいけば、4時過ぎに今城塚古墳の資料館に入る予定で、そこにはビジュアルなものも含め誰が見ても分かる解説があるので、ボヤッとしていたのです。ところが、ミルダさんは宝塚に造詣が深く、いろいろ見て回るのに時間がかかったそうで、間に合わないとの連絡。慌ててウィキで古墳の解説をにわか勉強して案内しました。

 

 ここの古墳、政治と歴史の交差点にあるような感じです。百田尚樹さんが『日本国紀』において、継体天皇の代でそれ以前の天皇とは別の権力になったという説を提示していますが(学会の定説でもあります)、宮内庁が継体天皇陵に指定しているのは大田茶臼山古墳なんですね。ところが、学問の世界では今城塚古墳が継体天皇陵だとするのが定説になっています。大田茶臼山古墳は継体天皇が生まれる100年ほど前に造営されたものだということで、宮内庁説は無理があるんです。

 

 ところが、そういうことが分かっても、いったん大田茶臼山古墳を継体天皇陵だと認定してしまったものだから、その取り消しができない。間違いを認められない日本の官僚制の問題点が宮内庁にまで浸透しているというか、宮内庁の場合、100人程度しか存在しない大事な天皇のお墓を間違って指定したことになるので、もっと深刻なんでしょうね。

 

 だけど、そのおかげで、他の天皇陵は学者でさえ入れないのに、今城塚古墳だけ誰でも入れるんです。お墓の上に登って遊べるんですよ。宮内庁様様とはこのことで、「いい仕事してるね」と言ってあげたい。

 

 そのことをミルダさんに伝えたら、大笑いしていました。「宮内庁」と言っても、最初は何のことか分からなかったんですけどね。

 

 今回、初めての海外旅行だったそうですが、うまくいけば、今年9月から、日本に留学できるとか。その時にまたいろいろご案内したいですね。