第2回米朝首脳会談の開催地はベトナム。当初、ダナンなども候補地にあがり、ベトナム戦争の激戦地だったこともあるので、当時のことを思い出した団塊世代も多かったのではないか。

 

 あの戦争でベトナムは破壊し尽くされた。第2次大戦で世界規模で使われた以上の量の爆弾が落とされ、200万人が命を失い、枯れ葉剤による被害はいまなお続いている。

 

 第2次大戦で被害をかける側にまわり、被害を受けた国から謝罪と賠償を求められ続けている日本からすると、ベトナムはどれほどの謝罪と賠償をアメリカに求めてきたのだろうと、誰しも思うだろう。しかし、この戦争での謝罪と賠償は、まったく問題になっていない。

 

 第2次大戦後の日本は、ベトナム(南だけだが)との間で賠償協定を結んで支払った。ベトナム戦争後の韓国とベトナムの間でも、謝罪と賠償がずっと問題になり続けてる。

 

 それなのに、ベトナム戦争後のアメリカとベトナムは、何のわだかまりもないかのように(表面だけだろうが)、友好関係をうたっている。ベトナムは謝罪も賠償も求めない。日本とどこが違うのかと不思議に思われるのではなかろうか。

 

 まあ、理由は1つではないのだろう。例えば現在、ベトナムは中国との間で南シナ海の領有権問題を抱えているから、アメリカのプレゼンスを必要としていて、とても謝罪や賠償を求めるような感じにはならないとか。あるいは、日本の場合は(それ以前の多くの敗戦国も同じだが)、連合国に占領されたので、謝罪と賠償を強制される構図がつくられたが、ベトナムは勝利したといっても、アメリカを追いだしたということなので強制できないという客観的条件もあるだろう。

 

 でも、それよりも大きいというか、ベトナム側がそもそも謝罪さえ求めないのは、ベトナム側に達成感があるからかもしれない。あの世界最大の軍事大国アメリカと正面から戦い、ベトナムから追いだした達成感だ。勝利の余裕と言ってもいい。

 

 韓国の場合、それがない。3.1独立運動などはあったが、日本を追いだすまでには発展せず、第2次大戦の終了により、思いもかけず日本が撤退することにより独立が転がり落ちてきた。独立戦争でフランスに勝利したアルジェリアなどとも違う。

 

 被害を受けたというだけなら韓国とベトナム、アルジェリアなどの間に違いはない。それでも韓国が日本に賠償を求め続けるのは、このような異なる点があるからではないのか。

 

 そうだとすると、韓国が達成感を得るのは、どういう場合なのだろうか。戦争で勝利する選択肢はないわけで、それがいまのところ植民地支配の違法性を日本に認めさせるというところに収斂しているわけだが、別の選択肢はあるのだろうか。よく考えを深めなければいけない。