「一に高島、二に端島、三に崎戸の鬼ヶ島」

 

 私が生まれたのは、この3番目に出てくる崎戸島だが、そこではこんな言葉が伝わっているそうだ。2番目の端島とは、いわゆる軍艦島で、徴用工が話題になるといつも出てくる島である。この言葉は、炭鉱労働のきびしさを言い表そうとするもので、3番目であっても鬼という言葉でも使わないと表現できないということなのだろう。

 

 私の母は鹿児島生まれだが、戦時中、その父(私の祖父)が仕事を求めて崎戸にやってきた。戦争がきびしい局面を迎え、石炭の増産が求められて、朝鮮半島だけでなく日本国内からの徴用も増えていた。若者は徴兵で戦地に送られていたから、高齢者や若くても徴兵検査でひっかかるような人たちが対象である。

 

 母の父は後者だったようで、すぐに仕事の出来ない体になる。母はまだ尋常小学校に通うような年齢だったが、父に「あそこの家からカネを借りてこい」と命じられ、家の前まで行ったがさすがにそんな言葉を口にすることはできない。先方はそれを察して、丼飯をくれたのでそれを父親に持ち帰ったが、「なぜカネをもらってこないのだ」と怒られる毎日だったそうだ。

 

 長兄もまだ小学生だったが、そんな父を苦労して家から追いだすように出ていってもらい、一家を支えたという。兄妹は苦しい生活を支え合ってきたのだね。

 

 昨日まで東京にいたので、母とこんな思い出話になった。私が徴用工の問題に関連して、当時の炭鉱労働のことをいろいろ調べているのを聞いた母が、このように言った。

 

 「自分で体験したから、当時の炭鉱労働者の苦しい暮らしは身に染みて分かっている。だから、朝鮮半島の人がいろいろ求めるのは理解できる。でも、日本人も苦しかったんだよね。朝鮮半島の人が韓国政府からおカネをもらって、それでも足りないと言って日本の企業にカネを出せという気持ちも分かるけど、何の補償もされない日本人の炭鉱労働者のことを考えると、納得できない部分が残るんだよね」

 

 そうなのだ。何回も書いているけれど、韓国側の訴えが日本政府を動かすとしたら、日本国民の支持が欠かせない。ところが現状では、もっとも理解をしてくれるはずの当時の炭鉱の仲間の支持さえ得られていないのではなかろうか。韓国の原告や弁護団は、それをどう打開するのか、真剣に考える必要があると思う。

 

 母の兄もまだ元気なので、近く話を聞きに行くことにした。私の父の仲間が書いた『望郷手帳 崎戸炭鉱物語』という本もゲットした。今頃になってこんなことをするようになるとは、まったく想像もできなかったけれど。(続)