この問題を現行の国際法の枠内で解決しようとすると、韓国大法院の判決は満たされない。何回も言うようだが、植民地支配は現在は違法だとされており、そんなことを試みる国が目の前にあれば違法国家として糾弾されることになるが、過去にさかのぼって植民地支配を違法だとする考え方は、ぜんぜん確立していないからである。国際司法裁判所で審理されることになったとして、韓国側の敗訴は目に見えている(だから韓国側は提訴に応じないだろう)。

 

 ただ、韓国側がもっと長期的、戦略的視点に立って、本格的に臨んできた場合は、変わってくる可能性がある。可能性と言っても1%程度だろうけれど、国際法を変えるだけのことを成し遂げられればである。

 

 そのためには、まず、世界を見方に付ける必要があろう。世界といっても、かつて植民地支配をしてきた国は無理だろうから、支配されてきた国が対象だ。

 

 ただ、そこまでは、この連載でも言及した2001年のダーバン会議の到達である。そこまでやっても、植民地支配を過去にさかのぼって違法とする一致点はできなかったし、ましてや謝罪や補償という話にはならなかった。

 

 しかし、韓国がそれだけの一致点をまず旧植民地諸国とのあいだでつくり、その上で、旧宗主国を切り崩していけるまでになるなら、国際法が変わる可能性があるということだ。そのための課題は二つあると思う。

 

 一つは、国家の政策を犯罪として裁くことについて、世界の理解を得られるかどうかである。どういうことか。

 

 よく「侵略は違法」と言われていて、実際に国際刑事裁判所規程が合意された現在はそうなのだが、長い間、侵略が犯罪として裁かれることはなかった。その理由の一つが、国家の政策を裁けるのかという躊躇があったからである。

 

 普通、犯罪というのは、人を殺めるとか傷つけるとか、そういう具体的な行為である。そういう行為があったとき、それを裁くというのは分かりやすいし、だから法的にもそれは犯罪とされてきた。

 

 しかし、侵略というのは、あくまで政策である。もちろん、その侵略の過程で民間人の虐殺などがあれば(自衛の過程での虐殺も同じだが)、それら個々の行為は犯罪とされてきた。まあ、虐殺抜きの侵略は考えられないのだが、しかしそれでも虐殺を裁けばいいのであって、侵略という政策そのものを犯罪とする必要はないと考えられてきたのである。

 

 植民地支配を犯罪とすると、同じ問題が起きる。植民地支配が合法であれ違法であれ、その中で犯罪行為が侵されれば、それは裁かれなければならない。日本の朝鮮半島植民地支配の過程で、日本の法律に違反する行為があったら、それは謝罪と賠償の対象になる。

 

 ところが、韓国大法院の判決は、植民地支配が違法だったという証明不要の前提があって、だから(日本の法律に沿った行為であっても)賠償せよという論理構成になっている。けれども、植民地支配が違法だったということを証明しない限り、国際社会の共感を得られないわけだ。

 

 それなら、この分野で国家の政策を犯罪とするだけの論理を韓国は構築しなければならない。証明不要だとして論理を深めない韓国の態度が続く限り、日本政府は安泰だということになるのではないか。(続)