本日は資料の紹介だけ。2年半ほど前、明治日本の産業革命遺産がユネスコの世界遺産に登録されたことは、多くの方の記憶にあるだろう。その際、韓国から、朝鮮半島出身の徴用労働者が受けた苦しみを反映していないと抗議があり、いろいろな議論の末、以下の発言を行うことで全会一致での登録となった。ここには学ぶべきことが多いと感じている。2015年7月5日付、第39回世界遺産委員会における日本政府代表の発言である。

 

 議長,

 

 日本政府を代表しこの発言を行う機会を与えていただき感謝申し上げる。

 

 日本政府としては,本件遺産の「顕著な普遍的価値」が正当に評価され,全ての委員国の賛同を得て,コンセンサスで世界遺産登録されたことを光栄に思う。

 

 日本政府は,技術的・専門的見地から導き出されたイコモス勧告を尊重する。特に,「説明戦略」の策定に際しては,「各サイトの歴史全体について理解できる戦略とすること」との勧告に対し,真摯に対応する。

 

 より具体的には,日本は,1940年代にいくつかのサイトにおいて,その意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと,また,第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる所存である。

 More specifically, Japan is prepared to take measures that allow an understanding that there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions in the 1940s at some of the sites, and that, during World War II, the Government of Japan also implemented its policy of requisition.

 

【注1】

 「意思に反して連れて来られ(brought against their will)」と「働かされた(forced to work)」との点は,朝鮮半島出身者については当時,朝鮮半島に適用された国民徴用令に基づき徴用が行われ,その政策の性質上,対象者の意思に反し徴用されたこともあったという意味で用いている。

【注2】

 「厳しい環境の下で (under harsh conditions)」との表現は,主意書答弁書(参考)にある「戦争という異常な状況下」,「耐え難い苦しみと悲しみを与えた」との当時の労働者側の状況を表現している。

【参考】

近藤昭一衆議院議員提出の質問主意書に対する答弁書(平成14年12月20日閣議決定)(抜粋)

「いわゆる朝鮮人徴用者等の問題を含め,当時多数の方々が不幸な状況に陥ったことは否定できないと考えており,戦争という異常な状況下とはいえ,多くの方々に耐え難い苦しみと悲しみを与えたことは極めて遺憾なことであったと考える。」

 

 日本は,インフォメーションセンターの設置など,犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む所存である。

 

【注3】

「犠牲者」とは,出身地のいかんにかかわらず,炭坑や工場などの産業施設で労務に従事,貢献する中で,事故・災害等に遇われた方々や亡くなられた方々を念頭においている。

 日本政府は,本件遺産の「顕著な普遍的価値」を理解し,世界遺産登録に向けて協力して下さったベーマー議長をはじめ,世界遺産委員会の全ての委員国,その他関係者に対し深く感謝申し上げる。

 

【注4】

 今回の日本代表団の発言は,従来の政府の立場を踏まえたものであり,新しい内容を含むものではない。

【注5】

 今回の日本側の発言は,違法な「強制労働」があったと認めるものではないことは繰り返し述べており,その旨は韓国側にも明確に伝達している。(続)