写真は我が家の近くのお寺さん。まだ6月の地震の爪痕は各地に残っています。

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 植民地支配が合法なものから違法なものに変わった力はどこにあったかというと、植民地の人々の血みどろの戦いにあった。それまである土地がどこの国に属するかは、先占と言って、先に自分の領土だと宣言し、その上で実効支配することだとみなされていたのだが、植民地の人々が実力で独立を勝ち取ることによって、ある土地がどの国に属するかは、その土地に住む人民が決めることだ(自決権)ということに変わったのである。国際法の大変革である。

 

 こうやって60年代に独立した旧植民地諸国は、70年代に入り、引き続き国際法の変革に挑むことになる。何よりも重視されたのは人種差別の撤廃だ。とりわけ南アフリカで行われていたアパルトヘイトを廃止することが共通の大目標となる。

 

 これらの国々は、世界の世論を喚起するため、78年、「人種主義、人種差別、排外主義および関連する不寛容に反対する世界会議」を開催する。各国の政府とNGOが集まり、アパルトヘイトを中心にして人種差別を撤廃する世論を広げていった。同じ名前の会議は83年にも開かれ、その力を背景に、アパルトヘイトは廃止されるのである。

 

 その後、旧植民地諸国が狙いを定めたのが、かつての奴隷制度と植民地支配を謝罪させ、賠償させることであった。いろいろな経過があったが、2001年になって、名前としては同じ「人種主義、人種差別、排外主義および関連する不寛容に反対する世界会議」が南アフリカのダーバンで開かれることになった。

 

 そこで採択された宣言の関連部分を以下紹介するので、よく読んでほしい(引用は永原陽子編『「植民地責任」論』より)。論評は明日に回すけれど、これがかつての奴隷制度と植民地支配を国際法上どう位置づけるのかについて、2001年時点での到達点である。

 

 「我々は、大西洋横断奴隷貿易を含む奴隷制と奴隷貿易が、そのおぞましき野蛮さのためばかりでなく、規模や組織的な性格、そしてなかんずく犠牲となった人々の人間性を否定する点において、人類史上の恐るべき悲劇であったことを認め、さらに、奴隷制と奴隷貿易とりわけ大西洋横断奴隷貿易が人道に対する罪であり、またつねにそうあるべきであったこと……を認める」(第一三項)

 

 「我々は、奴隷制、奴隷貿易、大西洋横断奴隷貿易、アパルトヘイト、植民地主義、およびジェノサイドによってもたらされた幾百万もの男、女、子どもたちの甚大な人的被害と悲劇的惨状を認めて深く遺憾とし、関係各国に過去の悲劇の犠牲者たちの記憶を尊び、それらがいつどこで生じようとも非難され再来が予防されなくてはならないことを確認するよう求める」(第九九項)

 

 「我々は、奴隷制、奴隷貿易、大西洋横断貿易、アパルトヘイト、ジェノサイドおよび過去の諸悲劇の結果として幾百万もの男、女、子どもたちに負わされた計り知れない苦痛と悲運を認め、遺憾とする。我々はさらに、深刻で重大な侵害行為についてすすんで謝罪し、適切な場合には補償を行った国々があることを明記する」(第一〇〇項)