植民地支配を過去にさかのぼって違法だとみなし、賠償を求めることができるような、そんな国際法の形成は可能なのだろうか。韓国はそれを求めているわけだが、それが国際的な法的規範として確立する時代は来るのだろうか。

 

 何回の書いたように、現在の世界においては、植民地支配は違法である。1960年、国連総会は植民地独立宣言を採択した。外国による支配は国連憲章に違反するとして、すべての人民には自決権があり、独立を決めることができるとするものであった。

 

 これは多数決で採択されたが、それでもまだその時点で、植民地支配は違法とは言い切れなかった。植民地宗主国であったアメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、ポルトガル、スペイン、南アフリカ7か国を含む9か国が棄権をした。これらの国の数は少なかったが、決議にもかかわらずその後も実際に植民地を保有し続けたのであり、だからといって国際法違反として国際司法裁判所に提訴されることもなかったため、60年の時点で法的規範とまではならなかった。

 

 植民地支配が違法だと確立したのは、その後も植民地の人々が宗主国の支配と血みどろの戦いを遂行し、独立を勝ち取ったからである。世界からほとんど植民地がなくなり(まだニューカレドニアや西サハラなど少数は残っている)、植民地を持ちたいという国もなくなり、ようやく確立したわけだ。

 

 韓国はもしかしたら、これをさらに前に進めるため、いまになって血みどろの戦いを挑もうとしているのかもしれない。それならば、植民地支配が現在の世界では違法だと宣言された過去に学んで進んでいけば、どこかの時点で、植民地支配はかつてから違法だった、だから死はした国は過去にさかのぼって賠償すべきだという法的な規範をつくりあげることは可能なのだろうか。

 

 無理だとまでは言えないだろう。だって、植民地支配が合法だという規範も、何百年か後には崩れ去ったわけだから。

 

 しかし、簡単でないことも確かである。なぜなら、それをやろうとすると、植民地支配の評価というだけでなく、近代法の原則である不遡及(法律が適用されるのは法律が成立した後であって、いわゆる事後法は認められないという原則)までを覆さなければならないからだ。

 

 法律をつくれば過去のことまで裁けるとなれば、それはもう法に求められる安定性などはどこかに吹っ飛んでしまって、どちらかと言えば法の支配というより、時々の力の支配ということになっていく。それでいいのかという問題がからんでくる。

 

 権力者が変わればかつての権力者が裁かれるというのは、韓国ではいまでも目の前で起きていることだが、それが全世界で普通のことになるとなれば、受け入れる国がそう多いとは思えない。実際、植民地支配に対する賠償というのは、これまで試みられてきたのだが、成功していないのだ。明日はその話。(続)