従軍慰安婦問題を思い出す。もし、1993年の河野談話が出た時、挺対協や日韓の支援団体が「これをとりあえずの勝利とみなそう」「その上でさらに高みをめざそう」と決断していたら、問題の構図はかなり変わったはずである。

 

 90年代初めに慰安婦が名のり出て、裁判をしたが、裁判では勝てなかった。けれども、日本国民の世論を動かし、日本政府からの心からのお詫びと反省を引き出したわけだから、「良かったね」と言われれば、慰安婦の方々も心安からにその後の人生を送れたはずなのだ。日韓関係がこれほどこじれることもなかったかもしれない。

 

 ところが、挺対協のみなさんも、日韓の支援団体も政党も、まったく満足しなかった。河野談話は日本政府が犯罪を犯したことを認めていないとして、全否定すべきものとして葬り去る態度をとった。100%満足できないものは0%だということだった。河野談話の精神でつくられたアジア女性基金についても、国民のカンパを慰安婦へのつぐないに当てることを捉え、日本政府が犯罪を犯したことを覆い隠すものだとの批判を行った。

 

 2015年の日韓政府合意は、全額を日本の税金で支出するものだから、かつて批判したアジア女性基金の問題点をクリアーしていたはずだ。それなのに、「当事者を無視したものだ」として、これも全否定の態度をとった。

 

 それらは果たして、慰安婦の救済という観点から見て、正しいことだったのだろうか。それをいつも考える。

 

 7割を超える慰安婦は15年合意にもとづく償い金を受け取ったわけだが、挺対協が慰安婦代表とみなされている韓国社会においては、受け取った方々は肩身が狭いままである。受け取らない方々は恨みを持ったままである。本当に残り少なくなった慰安婦の方々は、そうやって近く終焉の日を迎える。

 

 日本の植民地支配の違法性を訴えたい人、それを広げたい人、そこに力点がある人は、それでいいかもしれない。恨みを持ったまま亡くなっていった人々が多ければ多いほど、日本がやったことの残虐性は際立つことになる。被害者というのは、問題の違法性を訴える上では格好の存在である。

 

 けれども、当事者である慰安婦の方々はどうなのだろうか。私は、たとえ少しであっても、「声をあげたことが自分の生きている間に少しでも実った」と思えたほうが、心安らかに最後を迎えられたほうが、慰安婦の方々にとっていいことだと感じる。

 

 「いや、最後まで妥協しなかったことが幸せだったのだ」と、周りの人は言えるのだろうか。そういう態度を徴用工問題でも貫くのだろうか。(続)