ようやく徴用工問題に戻る。それも途中で菅官房長官の発言で別の主題にうつってしまったのだが、元に戻って「運動論」である。

 

 国際法的にどうなんだということは別に論じるが、徴用工が苦しい労働を強いられたことは疑いないことである。というか、よく長崎の軍艦島のことが取り上げられるが、炭鉱労働そのものが苦しいものだった。

 

 私の生まれは軍艦島の北のほうにある崎戸島といって(地図参照)、軍艦島と同じく三菱重工が経営していた炭鉱の島である。父はそこの発電所に勤めていて、友だちと集まると炭鉱労働の話をよくしていた。労働者は給与の大半を毎日の酒に注ぎ込むのだが、それは事故その他でいつ死ぬか分からない労働なのでカネを残していても仕方ないからだ、みたいな話をしていたのが、まだ子どもだったけれど私の記憶に残っている。

 

 ましてや戦時中のことである。戦争遂行が至上命題で、エネルギーが底をつきかけていた時代だから、どんな状態に労働者(日本人であれ朝鮮半島出身者であれ)が追い込まれていたかは、容易に想像できる。

 

 そして時代が過ぎ、自分たちは植民地として支配されていたことを自覚するにいたる。そして徐々にではあるが、植民地支配は違法だということが国際社会の規範となっていく。日韓条約と請求権協定が結ばれたのは、国連総会が植民地独立宣言を発したのと同じ1960年であった。

 

 だから、時代が経つにつれて、当時の徴用工にとって、当時の過酷な記憶が甦っていくのは理解できる。それが新しい規範である植民地の違法性という概念と結びつくと、今回のような問題が生まれてくるわけだ。

 

 考えるべき問題は、どういう目標を掲げ、どういう達成を成し遂げることが、徴用工たちにとって大事なのかということである。どんな運動を組織する際にも、それは考慮に入れなければいけない。

 

 そのうち、「目標」に関しては単純である。植民地支配の違法性を認めさせ、日本政府と関連企業に賠償させるということだろう。それ以外にはあり得ない。

 

 しかし、目標の全体がすべて達成するのは、そう簡単ではない。その時にどう判断するのかだ。

 

 目標の全面的達成以外あり得ないという考え方もある。違法性が認められない限り敗北だから最後まで戦うという考え方である。1997年以来、そうやって徴用工たちは運動してきた。

 

 そういう運動があってもいい。いや、そういう運動があるからこそ、やがて何十年先、何百年先になるか分からないが、かつて国際法が植民地支配を合法としていたことが糾弾され、旧植民地諸国が宗主国を違法性を根拠に訴え、賠償を獲得する時代がやってくるのかもしれない。

 

 けれども、いま焦点となっている徴用工の運動のように、それを数年というスパンで求め、実現しなければ敗北としたらどうなのだろうか。みんな老い先短い人ばかりである。最初に判決の出た4人のうちすでに3人は死亡している。この人たちは、「何も獲得できなかった」という思い、恨みをもって死んでいくことになった。それが徴用工たちにとって良かったのかということである。(続)