毎日めまぐるしく新ニュースがあって、なかなか百田さんの『日本国紀』に戻れませんね。写真は我が家の近くを走る阪急電車の線路沿いに見た夕陽。

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 菅官房長官は、怒りのあまり冷静さを失っているようだ。文在寅大統領の記者会見でのやりとりを聞いて、「韓国側の責任を日本側に転嫁しようというものであり、極めて遺憾だ」「日韓請求権(・経済協力)協定は、司法府も含めた当事国全体を拘束する。最高裁判決の確定で作り出された韓国側の協定違反の状態を見直す責任を負うのは当然ながら韓国側だ」と発言したと報じられている。

 

 このうち、請求権協定、つなり一般化すると条約が「司法府も含めた当事国全体を拘束する」というのは、かなりズレた解釈だと言えよう。自分のことに引きつけて考えてみればすぐ分かる。

 

 砂川事件の第一審、伊達判決を思い出してみればいい。安保条約を結んで米軍を駐留させたのは9条2項に違反するという判決だった。もし条約が司法府を拘束するなら、そういう判決をそもそも出せなかったはずだ。

 

 検察が高裁を飛び越えて最高裁に跳躍上告して、最高裁はそういう判断をとらなかった。もし、司法が条約に拘束されるというなら、最高裁はそういう論理で上告を破棄したはずだが、まったく別の理由であったことをとってみても、菅さんのような論理がおかしいことは明確である。

 

 つまり、最高裁までが条約に対して違憲判決を下す可能性は、現在の日本でもありうるのだ。同時に憲法は条約尊重義務を明記しているから、齟齬が生じる。そういう場合に政府がやるべきことは、条約を破棄するか、条約にあわせて憲法を改正することである。そうやって3権の関係が調整されるわけだ。3権と条約の関係は、度の国でもそういうものだろう。

 

 今回の大法院判決は、請求権協定が韓国の憲法に違反すると認定したわけではない。しかし、韓国憲法は植民地支配が違法だという認識の上に成り立っているわけだから、背景にそういう考え方があるのだとは思う。

 

 だから、菅さんが韓国に対して述べるべきだったのは、請求権協定にあわせて韓国憲法を改正するか、請求権協定を破棄するか、どちらにするのかということだったと思う。だけど、どちらも現実的にあり得ないことなので、解決策が難しいのだ。

 

 韓国の首相が悩んでいると発言したが、その悩みはよく分かる。この悩みは直接には韓国側が生みだしたものだから、菅さんの怒りも分かるのだが、北朝鮮の非核化に連携しなければならないことを考えると、菅さんも少しは悩んでみたらどうだろうか。(続)