護憲派の人々に、「あなたが改憲派になる可能性はありますか?」と聞いたら、「絶対にそんなことはない。あり得ない」と答えるだろう。当然のことだ。ずっとそれを信じてやってきたのだから。

 

 では、同じことを改憲派の人々に聞いたらどうだろうか。「あなたが護憲派になる可能性はありますか?」と。結果は同じだろう。この問題が議論されるなかでようやく到達した結論なのだから。

 

 しかし、自衛隊「加憲」を問う国民投票においては、両派が相手の考え方を変えようとして対決することになる。その場合、どうやったら、相手の考え方を変えることが可能になるのだろうか。

 

 昨日書いたように、「私は正しいが、あなたは間違っている」という手法は、こういう問題ではかえって反発をくらうことが多い。いろいろなやり方があると思うけれども、その一つの方法として私が人生のなかで体験したことがあるので、それを書いておきたい。

 

 2009年のことだ。もうお亡くなりになったが辻井喬さん(詩人、小説家、セゾングループ代表)にお願いして、『心をつなぐ左翼の言葉』という本をつくっていただいた。「超左翼マガジンロスジェネ」の編集長だった浅尾大輔さんが聞き手である。タイトルの通り、左翼の言葉がまわりの人々に届いていないのではないかと感じ、言葉の専門家である辻井さんに縦横に論じてもらったのである。

 

 

 本の中身も国民投票に際して意味を持つので読んでほしいのだが、ここで書きたいのは別のこと。出版記念講演会で京都に来てもらった時のことである。講演が終わり、質疑の時間になったのだが、ある方がこういう質問をした。

 

 「結婚して何十年も経つが、連れ合いの父親が頑迷な「先の大戦=自衛戦争だった」論者で、毎年正月に帰省した際に間違いを指摘し論争するのだが、まったく変わらない。この問題ではどういう言葉だったら届くのだろうか?」

 

 辻井さんは少し困ったお顔をされて、その後、次のようにお答えになった。

 

 「そうやって相手の間違いを正すことも大事なのでしょうが、それ以前に、大事なお連れ合いの父君なのですから、まずお酒でも酌み交わして、心を通い合わせることが先決なのではないでしょうか」

 

 すごく納得した。間違った側と正しい側の対決というのは、いわば敵と敵の対決であって、考えを変えることは敗北である。誰にせよ、そういうことは難しい。

 

 もちろん、お酒を飲んだからといって、考えが変わることはない。だけど、心が通い合えば、少なくとも敵と敵という関係ではなくなる。相手の考え方を真摯に聞こうという気持ちは生まれる。

 

 そういう関係を確立しないことには、どんな声も通じないと思うのだ。どうだろうか。(続)