寒くなってきましたね。写真は通勤途上にある二条城のお堀の様子です。

 

 

 「国民の命を自衛隊が守ることは憲法違反なのか」。この連載で論ずべきテーマの一つは、これに尽きるであろう。

 

 自衛隊が9条で保持を許されていない「戦力」であることは、誰が見ても常識的に分かることである。しかし、じゃあ、現実に自衛隊が存在していて、万が一侵略された際に防衛出動する時、「反撃したら憲法違反だぞ」と言えるのかということである。

 

 これをめぐって、いろいろな周辺の議論があることは分かる。「自衛隊が守るのは国民の命ではなく国家だ」という反論もある。その場合は、「自衛隊が国家を守るのは憲法違反か」と言い換えてもいい。

 

 最近、自衛隊の存在を直視せざるを得なくなってきて、さまざまな議論が起きている。とりわけ、自衛隊の災害救助での役割はもう誰も否定できなくなっているので、自衛隊違憲論で頑張ってきた人のなかで、少なくとも災害救助する自衛隊は憲法違反ではないという考え方も生まれているみたいだ。

 

 その根拠として、災害救援の際の自衛隊は「戦力」ではないことが挙げられている。確かに災害時の自衛隊は武器を使っているわけではないし、「戦力」のようには見えない。これって、現状の自衛隊違憲論者が許容できる一つの範囲なのであろう。

 

 ただ、この論理では、日本防衛にあたる自衛隊は合憲にはならない。誰がどう見ても「戦力」となって反撃するのだから。

 

 しかし、国家や国民を守ることが憲法違反というのは、直感的にというか常識的におかしいことなのだ。だから、昨日まで書いてきたように、吉田も共産党も悩んでいたのだと思う。

 

 市民運動とか個人は、この問題で悩む必要はないかもしれない。「ミサイルが落ちてきても甘受する甘のが9条の精神」と堂々と言っていればいい。

 

 しかし、「あなたの命のことだからあなたはそれでいいでしょうが、それを他の人にそれを強要できないでしょう」ということなのだ。とりわけ政治に携わる者が、自分の信念はそれでいいが、国民に「死んでもいいよね」と言えるのかということである。

 

 さらに同時に、それはさすがにおかしいと感じた自衛隊違憲論の政治家が、自衛隊を動かす立場にあるとして、「憲法違反の行為をやってこい」と自衛隊に命じることができるのかということでもある。それはあり得ない。

 

 だから私は、少なくとも、自衛隊が国家と国民を守ることは憲法に合致する行為だという論理を構築することが必要だと考える。安部さんの「加憲」は、それとは逆の方向を向いているので反対だ、ということでもある。(続)