この記事、先週の金曜日に書いて、アップしたつもりになっていました。八重洲ブックセンターに行ったり、自衛隊を活かす会の会議があったり、ばたばたしていたんですね。まだまだ続きます。写真は、鴨川のほとり。

 

 

 吉田は、自衛権があるなら、そのための実力組織も当然という立場をとった。これは、当時も現在も、国際法上は常識のことだろう。だって、自衛権というのは、あくまで武力を行使することが前提になった概念であって、自衛権を認めるということは、そのために武力を行使できる実力組織を認めることと一体のものであったし、いまでもそうである。

 

 だから、吉田が警察予備隊創設時に述べた「戦力なき自衛権」という考え方は、真面目に検討されるなら、新しい可能性を秘めたものであったと思う。けれども吉田は、結局は事実上の戦力を保持するという、解釈改憲の道を選ぶのであった。

 

 一方、吉田がソ連の侵略を本気で恐れたように、共産党はアメリカの侵略を真剣に心配していた。1961年に採択された綱領には以下のような記述がある。

 

 「帝国主義の侵略的本質はかわらず、帝国主義のたくらむ戦争の危険はいぜんとして人類をおびやかしている。これにたいして、社会主義陣営は、民族独立を達成した諸国、中立諸国とともに世界人口の半分以上をしめる平和地域を形成し、平和と民族解放と社会進歩の全勢力と提携して、侵略戦争の防止と異なる社会体制をもつ諸国家の平和共存のために断固としてたたかっている。」

 

 そして、54年に結成された自衛隊というのは、そのアメリカの侵略の道具であるという考え方をしていた。同じく61年綱領である。

 

 「日本の自衛隊は、事実上アメリカ軍隊の掌握と指揮のもとにおかれており、日本独占資本の支配の武器であるとともに、アメリカの極東戦略の一翼としての役割をおわされている。」

 「党は、自衛隊の増強と核武装など軍国主義の復活に反対し、自衛隊の解散を要求する。」

 

 60年代から70年代前半に青春を送った人の多くは、目の前でベトナム戦争が戦われていたから、このような世界認識が入りやすかった(ソ連の実態には多かれ少なかれ目をふさいでいた)。そして日本で革新勢力が政権をとるようなことがあったら、アメリカ帝国主義が政権打倒の戦争をしかけてくるのは自明のことのように思えたから、それにどう対処するかを考えたものである。

 

 それを考えた場合、吉田のように、現行9条のままで実力組織を持つことは、立憲主義を大切にする限り、あり得ない選択肢であった。その結果、自衛隊はアメリカに従属した軍隊だし、9条にもとづく非武装中立を掲げる社会党との連立政権では解散するが、将来は9条を改正して実力組織をつくると考えたのである。

 

 吉田のように、現行9条のもとで事実上の戦力が持てるというのは、立憲主義を無視した考え方であった。共産党のように、いったんは自衛隊を解散するが、その後再び実力組織をつくるというのも、かなり常識からはずれる考え方であった。

 

 けれども、そこに共通するのは、どうやったら想定される脅威による侵略から日本を守るかという、きわめて真剣な悩みだったのだと思う。実力組織がないほうが安全だという思考から無縁な人びとに共通する悩みであった。(続)