昨日書いたように、産経新聞デジタルから電話があって、iRONNAで百田尚樹『日本国紀』の論評を書いてほしいという依頼があったので、早速本を買ってきた。わずか510ページ!。弊社が刊行したばかりの『泥憲和全集』が勝っている(1024ページ、笑)。

 

 

 帯に大きく、「私たちは何者なのか──。」とある。それが本書全体を貫くテーマなのだろう。

 

 そして早速、弥生時代の記述の箇所で、「私たちは何者なのか──。」の萌芽が出ている。『魏志』の記述を引用するかたちで、「私たちの祖先が、他人のものを盗んだり、他人と争ったりしない民族であったということを、心から嬉しく思うのである」と書かれているのだ。

 

 まあ、私も嬉しいから突っ込みたくないが、あの百田さんが「他人と争ったりしない」ことを喜ぶ姿って、ちょっと想像できない。「お前が言うなよ」というレベルの話だ。

 

 ただ、まだ古代の話だけれど、歴史学の成果とまったく無縁に書かれているというのでもなさそうである。例えば「神武東征」。百田さんは当然のこととして信じている。

 

 記紀の記述であって神話だから歴史学の対象としないという考え方もあり、「やはり百田だ」と思う人もいるかもしれない。しかし、当の歴史学会の中では、「神武東征」をそのまま事実と捉えなくても、似たような現実は存在していて、それが中身やかたちを変えながら記紀の記述につながったと考えるのが、1つの大きな流れである。

 

 「作り話にしては妙にリアリティがある」「わざわざ負けた話を創作するのも不自然である」と百田さんは書いているが、そこは私も共有する。だから「真実であった」という百田さんは言い過ぎだと思うけれどもね。

 

 それにしても、人生の中で一番忙しい時期を迎えているのに(年明けから出勤しないでいい勤務形態にしようとしており、そのため現在、1-3月に刊行する10冊の本の編集が同時進行中)、なぜ産経からの依頼を引きうけたかと言えば、一人の人間が自分の歴史観で書く「日本通史」というものに多大な関心があるからだ。

 

 私が高校生だった頃(1970年代前半)は、左翼の学者がそういうものを書いていた。岩波新書でも、井上清の『日本の歴史』(上中下)があったし、分野別にも家永三郎の『日本文化史』があって、読みふけったものである。歴史観というものがビビッドに伝わってきて、非常に大きな影響を受けたものだ。

 

 そういう大きな物語で歴史を書くという試みは、歴史の事実を丹念に追いかけるというところから離れる面があって、当時から批判もあり、それを克服する試みもあった。ただ、ソ連が崩壊して、原始共同体から始まって最後は共産主義に至るという歴史観が深刻な挑戦を受けると、一人が歴史観を持って歴史を描くという試み自体が、完全に頓挫することになる。

 

 まあ、産経新聞デジタルiRONNAに書くことなので、ここまでにするが、そういうものの復権をめざしている一人として、百田さんから批判的に学びたいというのが、依頼を引きうけた動機である。自分で「日本通史」を書こうという意欲が湧いてこないようにしないとね。