吉田茂の解釈改憲に対して共産党は「自衛権問題でようやく我が党に追いついたか」と言わなかった。しかし、吉田と共産党は、国を守る気概という点では、共通するところがあったと思う。

 

 憲法は、侵略されたら国連憲章にもとづき国連軍に守ってもらうという、いわば崇高な理念の反映であった。だからこそ自衛のためであれ「戦力」は保持せず、交戦権も認めないという決断ができたわけである。

 

 しかし、憲法が想定していたそういう理念は、すでに憲法制定時には揺らいでいたが、その後、本格的に通用しない冷戦時代の幕があく。だから、国連に頼れないとなればどう日本を守るかが、あらゆる政治勢力に問われてくるのである。

 

 そこで吉田は、アメリカからの指令があったことを絶好の口実として、共産党が憲法制定議会で追及した通り、憲法は自衛権を否定していないという立場を鮮明にして、警察予備隊という実力組織の創設に踏みだすのである。それが自衛隊につながっていく。

 

 共産党も、自衛権は否定されるべきでないという確固とした信念を持っていて、そのためには実力組織が不可欠だという立場であった。9条のもとでは自衛隊は無理という点は違っていたが、気概は吉田と同じなのである。

 

 それなのになぜ、吉田の転換に共感できなかったのか。それは、憲法以前の問題であり、何から何を守るかというところで、根本的に食い違っていたからである。

 

 吉田にとって日本を守るということは、資本主義と共産主義の対決の中で、共産主義と対抗し、資本主義世界を守ることであった。アメリカに協力し、アメリカの力を強めることが、ひいては日本を守ることにつながるというものであった。

 

 それって、ソ連の実態を知っていれば、かなり常識的な判断だと言えなくもなかった。だって、スターリンがどんな大規模な虐殺をやっているかは、第二次大戦中から伝わってきていたし、戦後は東欧がどんどん暴力的に支配されていったことは目にしていたし、かつ56年のスターリン批判があって、公然としたものになっていた。議会制民主主義が発達していたチェコスロバキアまで一党独裁国家になっていた。

 

 そこに目を多少なりともふさいで、共産主義の理念を信じていた人は別にして、多くの人にとって共産主義とは怖いものであり、東欧のように支配される恐怖はリアリティのあるものだったのではないか。実際、日本がソ連のような国になったら、誰もが後悔していたことだろう。自衛権を認め、自衛隊の創設まで行き着いた自民党が政権の座に居続けたのは、そういう状況の反映であったと思う。

 

 共産党は、国を守る気概ははっきりしていた。ただ、何から何を守るかで、吉田とは対照的な立場であった。(続)