以前のブログで、「自衛隊と9条」と題する記事を連載していた。11回目までいっていて、その続きをここで書こうと思っているのだが、新しいブログなのに開始が12回目というのもおかしいので、少しだけタイトルを変えて1回目からはじめる。かつての記事は最後にリンクを貼っておく。

 

 これから数回、自衛隊違憲論を考察したい。安倍さんは、自衛隊違憲論が残っている状態を解消するためにもとして、自衛隊加憲案を正当化しているわけだが、そこにもつながる問題である。

 

 自衛隊が合憲か違憲かという問題では、人によっていろいろな考え方がある。それは現在、おおまかに言って3つの立場に整理できるのではないか。

 

 1つ目は、9条には自衛権について明示的に言及していないが、文面からして自衛権さえ否定したものであることは明らかであって、ましてや明示的に禁止された「戦力」である自衛隊は違憲であるというものである。憲法学者のかなりの部分はこういう解釈をしてきた。

 

 2つ目は、9条が自衛権を明示的に否定していないことを捉え、国家固有の権利としての自衛権は9条によって否定されていないと考えるが、しかし自衛隊は2項で放棄した「戦力」にあたるから違憲であるというものである。私も最近までこういう立場だった。

 

 3つ目は、ひとくくりにすると怒る人もいるだろうが、各種の自衛隊合憲論である。合憲の理由はさまざまだが、まず9条は自衛権を否定していないという共通の立場があり(その点では2つ目と同じで)、2項でたしかに「戦力」は放棄されているが、いろいろな理由で自衛のための実力組織までは放棄されていないという立場である。

 

 法律的にというか、形式的にというか、そういう立場からすれば、1つ目に軍配が上がるのだと思う。そもそも憲法9条が自衛権さえをも放棄したものであったことは、憲法制定当時の関係者にとってはあまりにも自明のことであったと思う。

 

 有名な話過ぎて紹介するのがはばかれるが、憲法制定議会において、共産党の野坂参三が吉田茂首相に対して、9条は戦争一般を放棄したものだという吉田見解を批判し、「侵略された国が自国を護るための戦争は、我々は正しい戦争と言って差し支えないと思う」と、自衛の戦争を肯定する立場から質問した。それに対して吉田は、「国家正当防衛権に依る戦争は、(共産党は)正当なりとせらるるようであるが、私は、かくの如きことを認むることが有害であると思うのであります」と述べ、9条が自衛権の行使をも放棄している立場から野坂を批判した。共産党は、そういう解釈であるならとして、憲法に反対する立場をとった。9条に反対する立場であれ、それに賛成する立場であれ、9条が自衛権を放棄するものであることは、みんな共通の理解を持っていたのである。

 

 憲法制定議会で対立したこの両方の側が、その後、いずれも立場を変えたということが、たいへん興味深い。そこにこの問題を深く理解するカギがあると思っている。

 

 写真は大阪城公園の森ノ宮駅に近いところ。最近、連合大阪の関係の本をつくる仕事があって、この近くまで来たときに撮影したもの。このブログのプロフィール欄にも使っている。(続)

 

自衛隊と9条・1

自衛隊と9条・2

自衛隊と9条・3

自衛隊と9条・4

自衛隊と9条・5

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自衛隊と9条・7

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自衛隊と9条・9

自衛隊と9条・10

自衛隊と9条・11