予測不能な物語。タイトルが分からない?ということで再考してみました。「帰れない山」(2022)がヒントになっています。

 

自然環境豊かな町にコロナ禍で苦しむ芸能事務所がグランピング場企画を持ち出すが、問題点が多く町民と芸能事務所が対立する。自然環境の“音”を耳にしながら物語は穏やかに展開するが、リアルでスリリングな会話劇を楽しみました。が、癒される自然にこのような落とし穴があろうとはこの結末に観る人が「どこに、悪は存在しない」と感じるか

 

監督・脚本濱口竜介、企画:濱口竜介 石橋英子、撮影:北川喜雄、録音:松野泉、整音:松野泉、美術:布部雅人、編集:濱口竜介 山崎梓、音楽:石橋英子。

 

出演者:大美賀均、西川玲、小坂竜士渋谷采郁菊池葉月、他。

 

物語は

自然豊かな高原に位置する長野県水挽町は、東京からも近いため近年移住者が増加傾向にあり、ごく緩やかに発展している。代々その地に暮らす巧(大美賀均)は、娘の花(西川玲)とともに自然のサイクルに合わせた慎ましい生活を送っているが、ある時、家の近くでグランピング場の設営計画が持ち上がる。それは、コロナ禍のあおりで経営難に陥った芸能事務所が、政府からの補助金を得て計画したものだった。しかし、彼らが町の水源に汚水を流そうとしていることがわかったことから町内に動揺が広がり、巧たちの静かな生活にも思わぬ余波が及ぶことになる。(映画COMより)

 

 

 

あらすじ&感想(ねたばれり:注意)

ブナの森を下から上に見上げるように映し出す。これが結構長い!豊かな水源地帯だ!

 

花がひとり残雪のブナ林の中、上を向いて歩いている

 

巧はチェンソーで薪割の寸法に木を伐り、これをマサカリで見事に割る。そして勝手口に積み上げる。この音が心地よい。このあと白い車で小川の水汲み場に出かける。

 

水汲み場にはうどん屋の主人・峰村和夫(三浦博之)がいた。巧は和夫の水汲を手伝う。猟銃の音が聞こえ、和夫が「栗村の方だ」という。

 

巧が自生の陸わさびを見つけると、和夫がかじって「メニューになる」という。“かじる音”に味を感じる。和夫から「今晩グランビの集会がある」と告げられた。このあと花を学校に迎えに行くと、“だるまさんが転んだ!”と気功の運動をしている先生から「いつものように、先に帰ったよ!」と声を掛けられた。巧は家に戻って、“いつものところで花に出会う”とブナ林の中に入っていく。

 

この一連の巧の行動は巧の一日のルーチンワークだ

 

巧は花をおんぶし、目に入る木々の名を食べられるか毒があるかと教える。花がこれを暗唱していく。途中で鹿の死骸を見た。“銃で撃たれた鹿だ“と教えた。やがて鹿の水飲み場に着いた。氷結していた。付近で美しいキジの羽根を拾った。

 

夜、巧は花を連れて駿河区長(田泰二郎)の家で行われたグランビング説明会参加のための打ち合わせに参加した。「補助金狙いのいい加減な物だろう」ということだった。花が羽根“を区長に差し出すと、「キジの羽根はピアノの鍵に使われる」「あそこは注意しろ!」と言い、花に感謝した。

 

家に戻った巧は妻が残したピアノに触れ、花に請われて妻と自分の絵を描いた。キジの羽根は花の母への想いだった

 

次の日、森に明るい陽が降りそそぐ。雪が溶けだしていた。巧と花は水汲み場で親子の鹿に出会った。このあたりは頻繁に鹿が出没するらしい。

 

グランビングの説明会が学校で行われた

説明者は芸能事務所プレイモードの若い社員、高橋啓介(小坂竜士)と黛ゆうこ(渋谷采郁)だった。

高橋は自信たっぷりにグランビング場のモデルから説明し始めた。住民と彼らの会話がリアルでハラハラしながらみることになる。これは濱口監督の十八番のシーンだ。要約しておく。

 

説明会が始まると、花がひとりで雪溶けの茅原を通って鹿の水飲み場に出掛けた。風の音が鳴る。花はキジの羽根を捜しにここに来た。

 

説明会は質疑応答に入った

最初の質問は施設の収容人数が最大60名と示しながら、40名で設計されていることへの矛盾を突くものだった。

巧が「計画の浄化槽位置では井戸に汚水が流れる」と疑問を呈した高橋は「業界の意見でこうなった」と言う。(笑)うどん屋の女将・峰村佐和(菊池葉月)はこれを後押しするように「水の美味さでここに引っ越してきた。それだけに浄化槽の問題は解決して欲しい」と訴えた。他にも浄化槽の容量について60人用にするよう求めた。さらに火災に備える必要があり管理要員2人の常駐でなければ対応できないと反論が出た。

 

次々に不備事項が指摘される中で、住民の中から「誰が責任を持つのか」、「社長は何故出てこない」、「専門家の意見を聞きたい」と意見が出てくる。高橋の当初の威圧的な応答も声を失い「施設は地元の方にとって金になる、うどんが売れる等有益なものです」と言い、段々と声を失い立往生!「質問を持ち帰って考えます」と黛が応答し始めた。(笑)

 

しかし、巧は助け舟を出した。「もう1回やろう。まともな話なら協力できる。我々も開拓民の血を引く者だ。バランスだ!」と声を掛けた。区長が「川上に住む者の誇り、絶対に汚物を流さない」と説き、説明会は終わった。

 

この議論、どう考えても芸能事務所案に問題が多く、これでお終いだろうと思った。

 

住民の意見を持ち帰りプレイモード芸能事務所で検討。

高橋と黛は社長に計画は穴だらけで住民には受け入れられないと報告した。社長は「それでいい、これで行政と繋がりが出来、現地の問題点が分かった」と言う。  

 

車で移動中のコンサルとオンラインで対策を検討した。高橋が「住民はこの案では受け入れられない、止めた方がいい」と提案。すると「この事業は今急速に成長している事業でスピードが大切だ」と説く。社長は「すでに補助金は受け取っているので浄化槽の変更は出来ない」と言い、コンサルは「管理人を地元の人にすれば良い」と提案した。

 

コロナ禍で稼ぎ場を失った小さな芸能事務所が生き残るために始めた事業だった。コンサルもいい加減だ。とにかく政府の金を皆で上手く廻してこの場を切り抜けようとする事業だった。

 

高橋と黛が管理人を現地の巧に引き受けてもらうために再び水挽町に赴くことになった。

 

水挽町へ急ぐ車中での高橋と黛の心境。

ふたりの会話が生々しい。面白い。高橋が「お前、辞めたいだろう!」と聞く。黛は「介護士事務所からここにきてみて、見た目よりクズが多いことを知って壊れた心にはいい。きれいごとがないのが良い」と言う。(笑)

高橋は「先輩の田村さんの勧めで来たが田村さんがあんなことになって、チャンスを逃し売れなかった。不公平を感じている。お前、辞めろよ!」と大きな声で俳優になれなかった鬱憤を黛に投げてくる。

 

その時、黛は高橋のスマホに出会い系の女性からメールが届いたのを見た。薫が「私が彼女になってみようか?」と聞くと「そんなこと言うな!俺は本気にするぞ」という。高橋は「結婚して田舎で管理人でもやろうか」と言い出した。管理人が高橋に出来るとは想えない。いい加減なやつだと思った。

ふたりは社長に言われた通りに水挽町の人たちに喋っているだけでそこに心はない。社長もいいいかげんなやつだった。(笑)

 

高橋と黛は薪割中の巧のところにやってきた

巧の気持ちよさそうな薪割を見て、高橋は薪割をやらせてもらう。が、上手くできない。巧のアドバイスで上手く出来るようになった。「気持ちがいい」という。巧はふたりをうどん屋に誘った。

 

花は牛舎で牛に触り、そのあとどこかに出て行った

 

うどん屋で高橋は巧に管理人を依頼した。

巧は「何でも屋で暇がないが、金はある」と断った。高橋が「じゃ、私が管理人になるからアドバイザーになって欲しい」と頼むと「グランビングの予定地は鹿の通り道だ!鹿は飛ぶ、だから3mの柵が居る。そんなところに人が来るか?」とグランピングの建設に反対した。「バランスだ!」の話はどうなったのか?巧もいい加減なやつだ!と思った。

 

巧は和夫に頼まれ、高橋と薫を連れて水汲みに出掛けた。水汲みでは黛は体力がなく使いものにならない!高橋が帰れ!と声を掛ける。

そのとき“猟銃の発射音”があった。

巧は花を迎えに行く時間を思い出した。学校では先生から「もう帰った」と言われた。

 

巧は高橋と黛を連れて森に入って花を捜す

黛は「鹿に襲われることはないの?」と聞く。巧は「野生の鹿は臆病で襲うことはない。手負いの鹿は慣れてない人を襲うことがある」と答えた。高橋は「それなら柵は必要ない」と反論する。巧は「野生の鹿が病気を持つ。鹿はどこに行く?」と聞き返した。ふたりの間に不穏な空気が流れた

 

死骸の骨のあるところに出くわした。蝿が舞っていた(音)。森の中を捜す。黛は木に触れて手を怪我した羽根が落ちていた。その先は水飲み場だった。三人は家に戻り黛の治療して花の帰りを待つが、戻ってこない。まもなく日没だ。

 

巧が家を走り出た。高橋が追った。町の皆さんの捜索が始まった。夜間の捜索が続く。

 

巧は手負いの鹿に対峙する花を発見した

巧は高橋をねじ伏せて首を絞め、ゲロを吐いてぐったりすると駆け出し花を抱き上げ、霧の立込める茅原へと消えていった。高橋は起き上がり歩き出すが、再び倒れた。暗い森の中で荒い息使いが聞こえる!

 

まとめ

作品は石橋英子さんがライブパフォーマンスのための映像を濱口監督に依頼したことから、プロジェクトがスタート。その音楽ライブ用の映像「GIFT」を制作する過程で、1本の長編映画としての本作が誕生したという。テーマは何だったのか、自然と人間?

そんなことを考えながらタイトルの意味を探った。

 

ラストシーンをどう解釈するか

手負いの鹿に対峙した花を守るために巧は高橋が跳び出さないようにねじ伏せた。それにしては手荒過ぎる。巧は花が鹿に襲われるという幻覚をみて怒りを高橋にぶつけ、彼が幻覚から覚めるのは森の中と解釈した。花が亡くなっているかどうかは定かでない。花が事故にあった責任を誰に求めるか?巧は手負いの鹿の危険性を知りながら、行動として花を守れなかった。「森のことは俺に聞け」と誇りにしている巧に大きな責任がある。

森羅万象、バランスだ!バランスが取れたところに悪は存在しない。「ドライブ・マイ・カー」の滝口監督ならはでの物の見方と見た。

水挽町のグランビング計画然り、巧のラストの行動もバランスを崩している。生きるためにはバランスが大切だと説いた作品だと思った。

音楽ライブ用映像「GIFT」、どう受け取れるか。視聴してみたい。恐らく、このバランスの必要性は読み取れない。これが音楽ライブ用映像としてではなく残したい理由だと思う。

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