江戸後期の大画家・葛飾北斎を陰で支えつつ、晩年には独自の画風にたどり着いた北斎の娘「お栄」の物語。天才絵師としての父北斎への敬意や絵に対する情熱、兄弟子善次郎へのひそかな恋が描かれ、これらすべてが繋がり「影が万事を形づけ、光がそれを浮かび上がらせる。この世は光と影でできている」と彼女の人生を象徴する絵「吉原格子先之図」に収れんするという感動的な物語です。

 

原作:朝井まかての小説「眩(くらら)」脚本:大森美香、制作統括:佐野元彦、演出:加藤拓加藤。音楽:稲本響。

 

出演:宮﨑あおい、長塚京三、三宅弘城、余貴美子、松田龍平、野田秀樹、須藤温子、他。

 

物語は、お栄の幼い記憶、北斎(長塚京三)に抱かれて筆を持たされた記憶「手のなかの筆がうれしくてしかたがなかった。くらくらした!」から始まります。

 

 

あらすじ

○出戻りお栄

出戻りのお栄に、母小兎(余貴美子)が「絵ばかり描く」と文句を言う。これを聞き流す北斎(長塚京三)。

ここでの宮崎さん、あぐらをかき、長煙管で煙草を吸い、べらんめえ調の言葉で話し、すっかりお栄さんになっています。

半鐘の音で飛び出し火事を見て「なんてえ色だ!」と感嘆するお栄。この笑顔がいい。

 

善次郎(松田龍平)が出戻りお栄を訪ねてくる。お互いに罵り合う仲だが、善次郎はお栄が戻ってきて絵を描くことをさりげなく喜んでいた。

 

○お栄、蘭画に挑戦

シーボルトから蘭画の注文が入った。北斎は「俺の腕を試す気か?」とこの話を受け入れ、15枚の絵のうち12枚の下絵をあっという間に仕上げ、残りを一番弟子のお栄と弥助(三宅弘城)に預けた。

お栄は得意の遊女を題目に描く。そこに善次郎が訪ねてきて「これはお前の色か」と問うと「親父の好む色だ」という。「お前には画きたい絵が、色があるんじゃないか?」と問うと「ちがう、親の役に立ちたいだけだ」とお栄は返事した。

 

これに善次郎は「お前にはず~と画きたい絵がある。妬ける!目指すものを持ってる!」と言い、自分の絵を描くことを勧めるが、「親父のようには描けない。どうしたら親父のように描けるか、役に立てるか」と悩みを明かした。

 

○お栄、吉原に遊ぶ

善次郎は、「いいところに連れて行ってやる」とお栄を吉原に誘った。お栄は舟の上で楽しそうな顔を見せた。華やいだ吉原、そして廓が美しい。この美しい江戸の風情がなければ北斎もお栄も存在しなかった。

善次郎は、芸妓として働いている三人の妹、そして花魁の滝(須藤温子)をお栄に紹介した。滝が善二郎に促され、三味・琴に合わせて踊った。

 

この時の記憶が後のお栄の絵の題目になった。「目をこらせば、この世のどこもかしこも色の濃い淡いでできている」とお栄は驚いた。

外に出て、格子窓から見た花魁の姿に「人の顔も身体も光の当たり方で色が違う。ひと色ではない。光が強いところでは色が薄く、暗いとこでは色は沈む。そうか、光だ。光と影が煌びやかさを作っている」と気付き、この色彩を追い求めることになっていった。

 

○北斎、お栄に絵師魂を叩き込む!

北斎は仕上がったシーボルトからの注文絵を点検し、お栄と弥助の絵に「かろうじて遠い近いがあり、影もついているが、コクというものがない」と批判し「明日収める」という。

お栄が「こんなもの収められない」と申し出ると「いつ収める?三流の玄人でも一流の素人に勝るもの。なぜだかわかるか。こうして恥を忍ぶからだ。己が満足できねえもんでも歯を食いしばってでも世間の目に晒す。悔いている暇があったらとっとと次の仕事にかかれ!」とお栄に注文元に届けるよう命じた。

 

北斎は自分の口では言えないことを注文先の口を借りて、お栄の耳に入れるためにこの絵を注文先に持って行かせた。親の愛情です!

 

注文元から「先方は北斎先生の絵を喜んでいる。しかし、遊女の絵は北斎先生の絵ではない。息をしてない、下手な絵だ!」と描いたお栄の前でぼろかすに言った。

 

帰り、橋を渡りながら「そんなこと、自分が一番分かってる」と愚痴ると、親父北斎がやってきて「おれでも満足なんかしない。いつももっとうまくなりたいと思っている」と言い、「この橋を渡ったら忘れよう。性根入れて、あがいて、あがいて描く」と絵師の根性を叩き込んだ。

 

○北斎、倒れる

北斎に小兎が「善さんをお栄の婿に」と勧めると、「婿などいらない」と返事ところで中風で倒れた。(笑)

小兎は親父さんの世話ができることに喜び、付きっきりで看病した。お栄が「もう10日だ、筆を持たせたら!」と言うと「お前はひどい女だ」と怒りだした。お栄は親父と一緒に絵が描けないことが不安でしかたがなかった。夜中にそっと起きだして筆を持たせる。

 

喧嘩別れしている滝沢馬琴(野田秀樹)が見舞いに訪れ「わしはかような往生は望まぬ!たとえ右腕が動かずとも、この目が見えぬ仕儀になっても、わしは必ずや戯作を続ける。まだ何も書いておらぬ。己の思うように書けたことはただの一度もござらぬ。その方も左様ではなかったのか?」「いつまで養生しているか。画きたいものが山ほどあろうが!」と貶し、お栄にゆずを渡し酒と混ぜて飲ませるよう指示して帰った。

 

馬琴の声が聞こえたか、北斎は目を覚ましよだれを垂らしながら「お栄、もう養生、飽いた」と呟いた。お栄は、次第に嬉しさがこみ上げてきた。

 

親父さんが元気になると、小兎はすることがなくなり気落ちしたのか、しばらくして「おとっつあん、頼んだよ」とお栄に言い残して亡くなった。お栄はこのことを悔やんだ。

 

○善次郎との恋

深い悲しみにくれるお栄は絵を板元に届けた帰り、舟着き場で善次郎に出会った。

「親父が絵を失うことが怖くて、母に迷惑かけた」と落ち込んでいるお栄に「大丈夫だよ、おっかさんは全部分かっている」と慰めた。「野辺送りにはお滝さんも来てくれて」と礼をいうと「今一緒にすんでいる」という。これを聞き、お栄は激しい嫉妬心を覚えた。

 

善次郎は自分の絵を見せ、「“ベロ藍“使ったのはおれが最初だ」とお栄の絵心を焚きたてた。お栄はこの藍色に魅せられた。お栄の顔に色が戻ってきて色っぽなった。宮崎さんがこんなに色っぽく見えるのはめずらしい。(笑) 善次郎の顔を撫で抱き付き喜びを現す表情の変化が、長回しで撮ってあり、秀逸です!

 

お栄は絵を描きながら「善さんの優しさは毒だ、私はとうとう毒を喰らう。目まいがした。一度だけでいいと思ったのにお瀧さんに悪い」と呟いた。

 

酒かんをしているとき、江戸名物の火事が察生し、芝まで燃え広がった。お栄は善次郎を心配して駆けつけたが、不運にも善次郎の住まいは燃えていた、これを契機に善次郎はお栄の前に姿を見せなくなった。

 

○「富嶽三十六景」

馴染みの板木元・西村屋(西村まさ彦)もこの火事ですべての板木を失った。「再起のため絵を描いて欲しい」と北斎に頼み込んできた。北斎は「大博打になるな!」と引き受け「富嶽三十六景」と名付け鳴り物入りで売り出した。

ほかの仕事は一切お栄が引き受けた

 

「富嶽三十六景」は売れに売れ、日本中いたるところで北斎の富士が拝まれるようになり、北斎の名を知らぬ者がいなくなった。

 

○「夜桜美人」

善次郎が火事から3年を経て突然訪ねてきた。今は絵を描くのを止めて妓楼屋をやっているという。そして、お栄の絵の批評を始めた。善次郎は、常にお栄の絵の才能を失わせないよう気配りしており、あの火事を契機にふたりの関係を終わらせた。そして妓楼屋で苦労しながら常にお栄の絵を見ていた!

 

お前の“菊に虻図”、虻は親父、菊はお前。“牡丹に蝶図”、花が親父でぼたんがお前、お前の絵には色気がない!」と批評し、自分の絵を描くことを勧めた。しかしお栄は「親父の名は光、眩ゆ過ぎて届かない親父の名で書けば高く売れる」と断った。(笑)

 

お栄の画きかけの絵を見て善次郎が「夜の桜か、夜に夜の景色か?」と聞いた。

お栄は「夜の闇のなかにも光と影がある。闇の蔭で光もいろいろな色を見せる。この女がいま灯篭の明りで歌を詠もうとしている。夜には昼に詠めぬ歌が書ける」と絵の構想を話した。

善次郎は「お前は自分の腕がわかってない!」と嫉妬する。「どういう意味?」と聞くと「お前の絵はおれにとっては光だ。くらくらする眩い光だ」と言い、「おれはもう絵は描かない。お前は絵を描き続けろ!」と言葉を残して帰っていった。

 

この絵を描き上げ、うたた寝しているところに北斎が現れた。絵を見て何もいわずに帰ったが、おそらくお栄の腕を認めた瞬間ではなかったかと。

 

色をつける宮崎さん、右手に二本の筆をもち色づけしてぼかすという技術を見せてくれます。1ヶ月練習したとのこと、見事です。

 

○「三曲合奏図」

引っ越し好きの北斎、80歳でまた引っ越し。お栄がスイカを食べていると、北斎が「善次郎が死んだ!今夜野辺送りだ」と駆け込んできた。お栄は一瞬とまどったが、北斎の「見送らないと尾を引くぞ!」の言葉で駆けだした。出棺のところに間に合った。三人の姉妹とお滝さんが善次郎のお棺に供をしていた。

 

お滝さんの姿を認めたお栄は、そっと路地で善次郎を見送った。お滝さんが軽く会釈をして過ぎ去った。

 

お栄はきつい顔で「あばよ、善さん」と言葉をかけ、家に帰って絵を描き始めた。

善次郎に連れられて行ってもらった吉原の遊郭を思い出し、「真ん中の若い遊女、きっと寝やのことは好きではない。自分も花魁のようになれるかどうかもわからない。でも琴は好きだ。お客が喜んでくれる。右手にはあでな女芸者、年は25、6。心底惚れた男が一人いる。けれどその恋はかなわなかった。今は親子ほど離れた旦那がいる。物足りなくもあるけれど私には三味線の腕がある。左で胡弓を弾く娘は町娘、商家のひとり娘でいずれ遠縁から婿を迎えることが幼いころから決まっている。許嫁は洒落ものを気取って芝居を観る、菊細工見物はどうかと誘ってくる。煩わしい。本当は若い手代が気になる。ふとした拍子に目が会えば胸がどきついて・・」と善次郎が語った三人姉妹を絵にした

 

お栄は善次郎とず~とこうやって話していたかった。この絵に“酔女”という雅号を書き入れると、親父が「世を捨てたようだ」と批評した。

 

お栄は酒を飲みながら親父とこの絵を眺めた。これがお栄と善次郎の今生の別れでした。この不器用な善次郎との別れに涙です!

 

○北斎の遺作「富士越龍図」

北斎の卒寿の祝いに弥助が祝を持って駆けつけた。弥助は描き残しの富士の絵を見て「この墨絵、お栄さんのですか?」と聞いた。お栄が「このままでは絵柄が寂しい気がする」というと、北斎が立ち上がり「お栄、富士を仕上げるぞ」とふたりに支えられながら富士に”龍”を書き加えた

すざましい気概が感じられる長塚さんの演技がすごい。描き上げた絵を見るお栄。「すげえ!すげえ!」と知らず知らずのうちに涙を浮かべた。この涙がまた眩しい。

 

北斎は「天が10年いや5年の命をくれるなら、おれは本当の絵描きになってみせる」と息巻いた。この数ヶ月後、北斎は亡くなりました

 

お栄はじっと親父の遺体を見入る、そして親父に筆を持たせ「うまくなりたい!」と泣いた。お栄の泣き声が深く胸に入って一緒に泣きました。

○「吉原格子先之図」

お栄は60歳になった。宮崎さんの老けメイク、完璧です。弟のところに居候して絵を描き続けていた。弟の嫁がお栄が新吉原に出向くことに「武家には恥」と苦情を言う。弟は「これが姉の業だから辛坊するように」と諭した。

 

お栄は善次郎と行った吉原を描きたかった。「ここに黒を落とし、こっちは灯が強くなって、これが光だ。この世は光と影でできている。影が万事を形づけ、光がそれを浮かび上がらせる」呟きながら「吉原格子先図」を書き上げた

酔って「飛んで行きたや主のそば」と歌いながら、橋を渡り絵材を求めて歩くお栄。

 

感想

お栄の作品「吉原格子先図」に至るまでの人生が、父北斎と共に過ごした日々を通して描かれました。善次郎との切ない恋の物語でもありました。

北斎とお栄の絵描き人生が、それぞれの絵のエピソードとして描かれ、楽しめました!特にお栄の絵はすべてが善次郎に繋がるエピソードで、最後の「吉原格子先之図」は、年取ったお栄が寂しさのあまり善次郎を訪ねて遊郭に行ったように思え涙がでますね!

赤いワンピースの宮崎さんが22年ぶりにロンドン大英国博物館で開催された葛飾北斎展で「富士三十六景神奈川沖波裏」に出会う冒頭シーンは、「吉原格子先之図」を仕上げ、大橋を渡りながら「飛んで行きたや主のもと」と都都逸で父を偲ぶお栄がロンドンを訪ね父親の絵に会いにやってきたように見えました。

 

お栄が父北斎を慕って、慕って共に過ごした日々が思い出され、宮崎さんがお栄になって生きていました!

 

このドラマ、脚本、演出、美術などどれをとっても一級品ですお栄が自分の絵に、光と色を見つけるくだり、絵が仕上がっていくシーンが秀逸です。しばらくこのような作品は出て来ないでしょう。忘れられない作品になりました。

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