「ゆさぶりの松尾」第130報・・・

授業は最初の5分間で成否が決まる・・・

<入念な準備・・・それが授業のまず一歩なのだ!>

 私はどちらかと言えば教育界の徒弟制度の中で授業改造を目指して斯道奨励した教師の1人でした。だから授業の在り方や考え方が実践に基づいて展開されないととかく授業に対しては厳しい見方をしていました。そもそも当たり前のことですが、学校の教師は授業が盛り上がるために入念な準備をします。それは授業において事前に入念なる準備を徹底しておくことですべてが決まるというキーポイントあるからです。言うなればあらゆる場面を想定しておくことでどんな状況でも落ち着いて教えることができるとそう信じて私は毎日できる限り万難の備えを始めたのです。そのキーポイントとは 

・徹底した学問的な教材研究・教材解釈をすること。

  ・多様な生徒の動きを予想した複数の教材構成をすること。

  ・多様な知的応答関係を呼び起こす発問づくりとそれに対する反応予想や対応を準備すること。

  ・開かれた豊かな人間関係のある学級づくりに努めること。

  ・ゆさぶり場面の構想と多様なる生徒の反応予想をすること。

  ・生徒の心になるほどと言ったストンと落ちる事項を明確にすること。

  ・視点を明確にした次時につながる授業反省と授業の見直しを図ること。

でありました。

 元来授業は教師にとっては最も大切な命そのものです。それがうまくゆくか否かが生徒の学習権の保障につながることでありますし又当然なことですが教師の人間性の確立や運命に深くかかわることでもあります。だから授業の成否は授業準備を万全に行いとりわけ最初の5分間の段階をどう設定するかでほぼ決まると言ってもそれは過言ではないと思います。

<結局、授業で上達するとは負荷を己にかけることなのだ!>

私のいた広島県の世羅西中学校は月に1回授業の全国公開をしていました。だから毎年約2千人以上の教育関係者の参観があり、中でも国連のユネスコからの視察があるほどで  した。それは多くの人に囲まれた授業前の緊張感は言葉には表すことのできないものでした。参観者が多いので廊下の窓は全てトッパワレ、教卓の上にはテレコがたくさん置かれています。8ミリの映写機の音はジーと教室に響き渡りテレビカメラは授業者と生徒に焦点があてられます。授業が始まり最初の5分間、私の最初の生徒に対する語かけと説明そして問いかけその「5分間」がうまく伝わり彼らにうなずきと笑みそして意欲を持つたまなざしが生まれればその授業は大体うまく流れていくものなのです。プロ野球の世界でもそうですが1回ピッチャの第一球目がその試合の命運を決めるとか言います。それと同じように授業の最初の5分間がスムーズに流れ教材の内容に移ればほぼ教材を媒介とした知的応答のドラマとしての授業は展開できるのです。

しかしながら最初の5分間の構想がうまく流れず授業の内容と生徒の動きには違和感のみが残る場合はどんなに私があがいて問いかけてもどうにもならないのです。即ち異常な緊張感と不安感で汗みどろの失敗の状況に私は陥るのです。リズムに乗り軽快に展開される授業と逆に予想した構想通りに展開できない失敗の授業そのものを思い出すと私は何十回・何百回と失敗と成功の狭間で苦しんできたものです。退職した今でも授業場面でうまくいった場面よりも困惑した場面の夢を見ることがしばしばあります。それほど学校における授業の成否は教師にとっては大切なものなのです。

ある公開授業の中でのことでありました。ふと教卓の上を見ると「先生!今日も私たちがついています。だから安心して授業をしてください・・・」と生徒が私の不安感を見透かしたようにメモを書いて置いていました。その時私は「ああそうだ私には応援団の生徒がいるではないか・・・」この共鳴共感してくれる学級基盤があってこその私の授業なのだと気づくと同時に感謝したものでありました。

<逆境を経験してこそ本当の強さが培われるのだ!>

私がここで言いたいことはなんでもそうですが、自分の力量を伸ばすにはただ平々凡々と時を過ごすのではなく、あえて人が選択できない厳しい状況に自分を追い込みやらざるを得ない取り組まざるを得ない負荷をあえて自分自身にかけることだと思います。その逆境に己を置くことに耐えてこそ自己の力は伸び自己解放できるものであります。

プロヘッショなるとは目標に向かって自分自身に刃を向け自分で戦う中で生まれる実践そのものです。