【72】
2010(H22)の話です
「今日は 何月何日ですか?」
病院の診察室や
訪問診療の際
父や母が
かかりつけ医の先生から
今日の日付けや 今の時間
今の季節 や 今 いる場所
などについて
聞かれている場面を
以前 お世話になっていた事業所の頃から
何度も目にすることがあったのだけれど
そのたびに
あれ
認知症の
父や母にしてみたら
かなり
高度なことを聞かれている
ってことにならないかしら?
いつも
どきどきしながら見ていた
毎日
日付けを見て動いているはずの私でも
ん?
今日 何日だっけ?
なんて
わからなくなることは 時々あるから
もし
あんな風に
先生から
突然 質問されたりしたら
焦ったり慌てたりして
うまく答えることなんて
できないかもしれない
答えられなかったその様子だけを見て
色々に判断されたりしたら
嫌だろうな
と思っていた
先生からすれば
父や母の
認知症の見当識障害の症状が
どの程度のものなのか を把握するため…
なのかもしれないけれど
聞かれる側(特に父)にしてみたら
答えられなかった
わからなかった
うまく言えなかった…
そういったことは全て
先生に見られている前での失敗
に思えて
とても恥ずかしく
自信をなくすほどのことに
なるんじゃないか…
今日は何月何日ですか?
と聞くことの益(えき)よりも
ただでさえ
できない
わからない
ことが多くなってきている父に
自分はだめだ と余計に思わせてしまう
父のプライドを傷つけてしまう
そういった良くない影響のほうが
大きいんじゃないか…
そんな風にも思っていた
以前の診療所では
明らかに
憮然としている
父の姿を見たこともある
さぁ
おじぃちゃん
これ
できるかなぁ?
若い看護師さんに
そうやって
子ども扱いされて
おじいちゃん呼ばわりされた時に…
父はプライドの高い人だったから
あれは
我慢ならなかった顔 だったように思う
認知症だからって
なにもかも
全部 わからない訳じゃない
できること
できないこと
わかっていること
わからないこと
わかっているけれど できないこと
本人だって
はっきり
その線引きが
できている訳ではないだろうけれど
できないってこと
できなくて恥ずかしいってこと
父の場合は
自分で それが自覚できているようだった
事業所が変わり
新しい かかりつけ医の先生が
訪問診療で
初めて実家に来てくださる日
台所で
椅子に腰掛けて
じゃが芋の煮物を食べていた父に
今日は(訪問診療で)
先生がみえる日だよ
私が
そう伝えた途端
父は
煮物の皿を持ったまま
台所から出て行ってしまった
探しに行くと
奥の8畳の部屋の隅っこに立っていたけれど
落ち着かず
今度は庭に出て行ってしまう...
見ていたら
戻ってきて
私に
お△△さん←私の名前
今日は
○月🔵日かぃ?
と聞く
今日は
○月🔲日だね
と答えると
○月🔲日?
そうか
今日は
○月🔲日か…
答えられねぇと恥ずかしいからさ
先生が来ると
今日は何月何日ですか? と 聞かれる…
父は そう理解していて
答えられなかったら
恥ずかしいし 嫌だから
そのために
予習して覚えておこう
と思ったのかもしれない
父にしてみたら
答えられるか
答えられないか それを試される日
みたいな気分でもあって
そわそわしていたんじゃないかと思う
でも…
今日が幾日か…なんて
父が予習してまで
覚えていなきゃいけないこと?
そんなに意味のあること?
明らかに落ち着きをなくす
そんなストレスをかけてまで
父に聞かなきゃいけないことかしら?
その日
訪問診療にいらした先生に
そのことをお話ししたら
先生が車から降りて 家に入る前に
父には見えないように 聞こえないように 外で
父の様子を理解してくださって
その日以降
今日は 何月何日ですか?
父が
その質問を されることは なくなって
ほっとした
先生
ありがとうございます!
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