前回の記事の続きになります。
誰のために…
三人の子育てを振り返り
相手のために
何をして差し上げたらよいのか?
何をして差し上げる…
時には、
反対に
何もして差し上げない…
って、ことが、相手のために
して差し上げることにもなりました。
例えば、わが子たちに対して
自立力、生きる力を養うために
過剰な手助けはしない。
忘れ物に気づいても
頼まれもしないのに
学校に持っていきませんでした(笑)
(忘れ物にして、めっちゃ困ったら次回から気をつけるだろう)
頼まれたことでも、わが子が全力を出していなければ、自分で出来る能力があれば、自分でやりなさい!と断ってきました。
(親族からは鬼母と言われました…笑)
何でもしてあげる!は
時には、相手の力や成長する機会を奪うことにもなりかねないから。
わが子の人生に乗っかったら悪いなーと、我が人生のみに期待しております。わが子たちには希望のみで、どうぞご自由に生きて下さいまし!と、かなり薄情なおかんです。
おかげさまで、自立力はつきました。あとは、一人暮らしできるぐらい稼げるまではサポートしますが、精神的には自立してきたようです。
各々、自分の人生設計はしているようです。
運動指導者としても
『先生のレッスンさえ受けていたら大丈夫❗』とお客様を依存させてしまったら、困るのはお客様。
自分の身体に責任を持つのは自分自身なので、運動指導者やお医者さま任せではお客様のためにはならない。
子育てでもお客様にも
自立して頂くことが
相手のためになること。
依存させることは、
相手の為にならないと先輩インストラクターさんから教えて頂きました。
しかし、依存された側の親であり指導者のワタシ、
実は少し気分がよかったりするのです。
だって、自己存在や承認欲求が満たされるのですから。
私は人の役に立っている人間、
そんな人間でよかった〰️と。
人間の究極の承認欲求が
満たされるから
はりきって
何でもして差し上げたくなります。
が、
はたして、
して差し上げることが
お相手の為になるのかどうか?
まで考えないと
自己満足の子育てや指導に
なってしまうような気がします。
時には、
あえて、
何もして差し上げないことが
して差し上げることに
なっていたことも
思い出しました。
何もして差し上げない!って
見放すことではありません。
力は貸さないけど、
見守ることをして差し上げる。
実は、
コレが一番
大変かも☺️
大丈夫かな〰️?と心配になるから。
その心配は、相手にとって
不要なものであり
また、お相手の自信を失うものであるから
相手に悟られたらあかんし
まあまあの苦行です(笑)
口や手を出したほうが
私自身は、不安から解放されるんで
親としては楽なんですよね~😁
ようわかってるやん(笑)
して差し上げるのも愛
して差し上げないのも愛
心底、相手の成長やしあわせを考えての行動であれば、どちらも間違いではないのだろうなぁって思います🍀
追伸 わが子たちは私の怠慢を正当化しているやろ❗って突っ込みを入れてきますが、負けずに言い張ります(笑)