大神山神社奥宮・・(三つの日本一) | 自然派のブログ

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神秘の神社

三つの日本一

・権現造社殿

・内部極彩色白檀塗

・自然石参道

大神山神社奥宮

(撮影日2023・8・21)

大神山神社(おおがみやまじんじゃ)

鳥取県にある神社である。式内社伯耆国二宮で、旧社格国幣小社伯耆大山山麓(米子市)の本社と山腹(西伯郡大山町)の奥宮とがある。

今回は大山寺と一緒にお参りするので、奥宮の案内になります!

それでは大山寺と大神山神社奥宮を目指して登って行きましょう。

この真っすぐな長い参道は、大山寺の山門につながっています!

今回は車で手前の駐車場まで車で行きますが、歩くと緩やかな登りですが、長いですよ・・😅😅

大山寺の山門が見えてきました・・・

山門の手前で左を見ると大神山神社の鳥居が見えてきます・・

鳥居に向かって少し歩くと・・

右上に大山寺の山門が木立の間から見えています・・・

奥宮の鳥居です!

歴史

当時は大きな一大勢力

・平安時代は修験道として著名な山。

・三院で百八十防の規模

・三千人の僧兵を擁する一大勢力

ネットから歴史の流れを読んでみました!

当社の奥宮は、大山に登った修験者が、海抜900mほどの場所に簡易な遥拝所を設置したのが起源とされている。伯耆大山は、平安時代には修験道として著名な山となっていたが、積雪により祭事に支障が生じるため、麓に冬宮を設置し、冬期はそこで祭事を行うようになった[1]。これにより、現在の「奥宮」は「夏宮」と呼ばれるようになった[1]

大山神体山として、大己貴命が鎮まるとされたが、神仏習合が広まると、当社は智明権現と称し、地蔵菩薩を本地仏とするようになった[1]。その後、三院にして百八十坊の規模となり、三千人の僧兵を擁するようになった[1]

『勝見名跡誌』には伯耆大山の智明大権現と因幡鷲峰山の鷲岸大明神が仲が悪く戦をしたとの伝承が載っている。元弘3年(1333年)、隠岐を脱出した後醍醐天皇が当社で鎌倉幕府打倒の祈願を行った。

明治8年(1875年)、神仏分離によって大山寺を廃し(大山寺は後に再興)、冬宮を本社とし、山腹の智明権現の仏塔を廃し、地蔵菩薩を除いて、奥宮とした・・ネットをお借りしました。・・😅😅😅

 

650mで徒歩15分と記してありますが・・

自然石の緩やかな登りは、小雨の降る中は滑ってなかなか登れませんよ・・滝汗滝汗滝汗

全国最大級権現造り・壮麗大社殿

(今回は工事中でした残念)

扁額「大神山神社奥宮」

それでは、本殿を目指して・・・

神秘漂う参道を登って行きましょう・・(*^_^*)

親子さんでお参り・・・(*^^)v

微笑ましいです・・😊😊

自然石を使った参道としては日本一の長さ・・

大山山麓に建つ「大神山神社奥宮」。見事な権現造りの本殿はもちろんのこと、参道もパワースポットとして有名です。本殿までの道のりは約700mあり、自然石を使った参道としては日本一の長さとして知られています。神々が宿るといわれている大山の森に抱かれた神秘的な場所で、ただ歩いているだけで浄化されているくような、不思議なパワーが満ち溢れているスポットです。

参道は登るだけで神秘の世界にいるようで、とても神聖な気持ちになります・・(*^_^*)

長い道のりですがワクワク感がいっぱいです・・(*^_^*)

神秘の参道をお参りを終わって下りて来られました・・

大神山神社奥宮は続きます・・

ほんとに素敵な神社で、歩いているだけで浄化されそうです・・

続きます!ニコニコ