飯田橋駅近くの教会。

比較的、最近立て直された教会。数年前位だったか・・・。

いかにも飯田橋らしい都会風の教会ですね。

しかし…信者らしい風の皆さんのお姿はあまり見かけない感じもするが、教会というのは、そういうものであるのかもしれない。

まあ・・・・私の場合は、申し訳ないが、何の教義であれ、宗教には格別の興味はないのだが、関心は主に景観というだけの限定されたものであるようだ。

だが・・・・この教会の外観はなかなかのものである。

 

 

東京・飯田橋の東京逓信病院を出てから・・・・・九段の方に向けて歩き出したが、どこに行くという当ても特にはなかった・・・・というよりは、馴染みのある方向に、ほとんど癖のように歩き出したという風であるかもしれない。

歩き出した方向は、概ね、昔の勤務先のエリアでもあるから、歩く方向に何の不安もない。

しかし、その割には、よく観察していない風でもあった。

 

 

 

いまは九段下の方向に向かっている。

九段という響きは、昔から何ということもなく、格調のある品のある印象があった。

 

いまは九段北とか九段南というのがあるのみであるが・・・。

解説によれば、市ヶ谷方面へ延びる靖国通りの坂、九段坂に由来するということらしい。江戸時代に、幕府は江戸城に勤務する役人のための屋敷を作ったが、土地の勾配がきつく、石垣を9段も築いたということから、『九段坂』と呼ばれるようになったのだともいう。

 

 

 

 

私の勤務先は九段北というところにあった。

そういう九段のエリアを歩いているが、やはり・・・・どういう謂れの方のお屋敷か分からないが、いかにもお屋敷という風のお屋敷も散見する。

その先には九段区立中等教育学校がある。

千代田区立の『中高一貫校』である。

そうなる前は、九段高校としていた。九段高校は都立校の中でも屈指の進学校のひとつであったが、区立九段中学校とが統合する形でできた、区立唯一の中高一貫校である。

 

区立だけに、区内の子供と、区外の子供で、受験者数を制限区分しているらしい。区立の学校ですからね。

千代田区がこうした中高一貫校を考えた事情は、どうも、区内の子供が区外の進学校に流出してしまうという事情があり、これを食い止めたいという思惑であったらしい。

少し覗いてみたが、もちろん、校内に入ることはできず、見た感じでは、いかにも名門校らしい雰囲気が校外に溢れているような印象もあった。

 

 

 

これに隣接する形で、その先に靖国神社がある。

この靖国神社には、在職中、職務の関係もあり何かと関りを持つことがあった。

創業者の弟さんが第二次世界大戦で戦死した関わりで、靖国神社の夏のお祭りの際には町内ということもあり、少々変わった行事に参加していたことから、その時期になると社務所に伺い打ち合わせをするのが恒例となっていた。

 

 

在職中は・・・近いから、普段でも、昼の散歩にも出かけたりもした・・・・。

個人的には靖国神社に、格別の思いは少しもないのだが・・・近かったから、寄ることが何となくあった・・・・ということかしら。

 

 

(第11937回)