千代田線(常磐線ともいう)の北小金駅の南口方面に、日蓮宗の本土寺というお寺がある。

駅から700メートルほどである。このうちの500メートル位が事実上の参道である。

この参道の規模をみれば、寺の規模もわかろうというものである。

創建は1277年。750年位前に建てられた。日蓮宗の開祖、日蓮が生きていた頃に建てられた。

資料によれば、開祖が日蓮、2代目が日朗、実際に建てたのが3代目の日伝という。要は日蓮宗の中では相当に由緒あるお寺なのですね。

 

 

 

 

だから本土寺の住職は貫主と呼称されているそうだ。当代のご住職が先代から受け継いだ時、ローマ法王のコンクラーベのような選挙戦になったが、当選した当代のご住職は逗子のお寺の住職であった。その座を息子に譲り、既に91歳であったというが、私もと手を挙げて見事、数多の競争相手を退け、当選したのだという。

それほどに、本土寺のご住職という座は色々な意味で魅力的であったのですね。しかも拝観料という収入も期待できる。お寺に独自の収入があるというのは、檀家にとっても、有難い話のようである。なるほどもろに、檀家に頼られることが少ないのかもしれない。いろいろな意味で坊さんの世界では十分に魅力的なお寺であった。

 

それまで住職のお姿を拝見したことはなかったが、その就任の翌々年であったか、節分の豆まきであったかの折に、ご住職のお姿を初めて拝見したが・・・・そのときは既に93歳位であったろうに、背筋はピンと伸び、矍鑠とした姿を見せていたことに驚いたものです。

確かに、これ位だから手を挙げたのであろう。

 

 

その後、京都の大本山のトップ、管長に選任され就任したが、京都のお寺まで新幹線で京都、松戸間を、秘書も連れずに、往復しているのだというが、要は、とにかく、それほどに本土寺という寺は、日蓮宗の中で、なかなかの格式を誇っているということだろう。

管長についたお寺は京都の大本山妙顕寺。この妙顕寺が日蓮宗第1号のお寺なのだそうだ。日蓮宗第一号のお寺は身延山でもなく池上本門寺でもないのだという。本土寺のトップは、そういう資格、格式がある寺なのですね。

それだけに日蓮宗の坊さんの間では格別に魅力的なお寺だという事だろう。

妙顕寺は、京都御所の近くにあるらしい。

 

 

我が家は、駅の反対側、北口から、およそ1キロほどだから、本土寺は全体で片道2キロ弱であるが、どうも梅雨入りかというとき、本土寺の名物である菖蒲や紫陽花の季節も一緒にやってきたから、折しも梅雨時だということで出掛けた。

菖蒲や紫陽花には、雨降りは最高のお友達。

これを見逃す手はないと、妻に多少呆れらながら、歩いて本土寺に向かった。日常の運動の一環なのであるが・・・。

中ほどのところで、雨はあがったが、雨粒が紫陽花の葉っぱにポツポツとし、まことに結構な眺めであると思わせた。

 

 

いまでは、本土寺の紫陽花、菖蒲はかなり有名になったが、昔から紫陽花寺であったわけでもない。その辺のお話を、先々代のご住職の講話という形で伺ったことがある。

もう10年少し前であるが・・・・。

当時のご住職が境内の整備に熱心に取り組んだ時代に、茶室などを整備し、ついに五重塔まで建ててしまった。もっとも、この五重塔は鉄骨だというから、聞いてしまうと少々ガッカリするが、見た目には誰にも少しも分からないし、界隈で五重塔をもつ寺は極めて少ないから、五重塔があるというだけで、皆さんを驚かす効果は十分ということであろう。

これらの建物を整備していた頃に、庭の整備も始めた。

いま、紫陽花は、以前の計算で2000~3000本の紫陽花があるらしい。菖蒲も同じくらいあるという。

もみじは千本位、桜の木もある。蝋梅から始まって、こんな具合で、6月の菖蒲、紫陽花、9月から彼岸花が咲き始める。それから秋の紅葉も綺麗である。

 

 

 

 

また、拝観料については、こう述べている。

「私が住職になりまして、入園料500円は取りすぎではないかというと、多分、7~8年前の事ではないかと思うが、300円のときには、その受付で100円玉が増えて計算が大変とかで、500円玉にしたようである。その代わり、7月15日から8月いっぱい、無料にしている。12月の紅葉の後は、1月15日まで無料にしている」

 

拝観料が300円の部分の話では、ご住職は実際には、こう話していたと思う。

百円玉が「ジャラジャラで勘定が面倒で困る」とおっしゃっておられた。『ジャラジャラ』では露骨というか、品がないというか・・・・という感もあり、文字に起こした時点で、その部分を削除したのであろうが、しかし・・・・この削除は、ちょっと勿体ない感じもした。

ご住職の飾りっ気のないお人柄を感じさせて、講話の面白味を増していたように思うのである・・・・が、拝観料の徴収は、いまでは、もっと簡略化され、全体としての徴収の期間は短縮されたようである。

昔は拝観料はなかったのであるから、地元の皆さんのご希望を入れたということであろうか・・・。

 

 

それにしても・・・6月1日現在で、まだ拝観料の徴収は始まっていない。どうしたのだろう?紫陽花の色合いが、まだ十分ではないから・・・・・ということか、と思ったが、次の日、2日に行ってみると拝観料の徴収が始まっていた。

この日が日曜日であったから、ということのようだ。

拝観料の徴収が始まりと同時に、入園者も急激に増えてきた。不思議なものである。

拝観料の徴収が始まってからも、本土寺には通っているが、拝観料500円が必要となれば、中に入るわけにはいかない。近くのベンチで新聞を熟読し読み終わった頃に引き上げてくる。

 

ここに通うのは、わが家から本土寺までの距離が約2キロ、往復4キロというのが、丁度適当な負荷がかかる範囲でちょうど具合がよろしいという理由もある。

寺の前にはお土産屋やさんもあり、この前はタケノコが売っていたので買い込んできた。あるいは、また近くでは、野菜売りなどの軽トラのオジサンのところで、真竹(私の田舎ではハチクという)というタケノコを奥さんのお土産にした。これはお味噌汁の具にすると、もう絶品なのである。

 

 

(第11935回)