東京新聞の投稿コラムに『あけくれ』というのがある。

3月24日の投書は、『上野駅』という表題であった。

88歳の女性が書かかれていた。

 

上野駅といえば・・・・井沢八郎さんの代表曲『あゝ上野駅』。

この歌は、娘の工藤夕貴さんが歌い継いでいくのだという。

 

どこかに故郷の 香をのせて

入る列車の なつかしさ

上野は俺らの 心の駅だ

くじけちゃならない 人生が

あの日ここから 始まった・・・・・・・・

 

 

投書には・・・・・こう書いてあった。

 

私にとっても思い出深い曲である。

私の古里は山間部にある小さな村で、本校と分校が2校あった。戦後間もない当時は、中学卒業と同時に集団就職する人がほとんどで、主に関東方面に行く人が多かった。

上越線の終着駅は上野駅である。集団就職で関東に来た同級生は、いつからか1年に1回、クラス会を開くようになり、その折に必ず歌い出すのが、「ああ、上野駅」であった。

 

小さな村で育った私たちは、地域の方言とでもいうのだろうか、みな当然のこととして『い』と『え』を逆に使っていた。

「胃が痛い」を「えがえてい」という。

大声を張り上げて歌った『あゝ上野駅』。

「ういのは おえらの こころの いきだあ!」

年を重ねても「い」と、「え」など気にせず明るく歌っていた友。

その訃報も多くなったこの頃である。

 

このコラムの多くを、私には、とても素直に理解できる。

彼らが歩んできた社会の多くも、概ね想像できる。

それらは、私が生きて来た時代でありましたね。

 

 

 

(第11922回)