あの・・「原発」と「大地震」、「津波」がセットでやってきたトンデモナイ日から13年・・・終わりは見えない。
(以上の画像は東京新聞)
再び、浪江の町へ
彼らは、5分余りも許可証を眺めたのち、頑丈そうな鉄のゲートのカギを外した。
それをみても、このゲートの中に入ろうとするものは、滅多にいないことが分かる。
それだけに、ゲートの向こうの世界は、尋常な世界ではない、異常な世界なのだということを私たちも知った。
そこから、無論、戻ることもできたろう。
入場することに何らの義務があるわけでもないのだから、やあ~めた、と中止することもできた。
だが、二人とも、そういう気持ちはまるでなかった。
何故かはハッキリしないが、恐らく、ゲートの向こうの世界を見てくるのが、何か・・・・私たちの義務だと思う気持ちに迫られていたように思う。
それを果たさないで、こちら側に戻ってはいけないように感じてもいたのだろう。
ある種のジャーナリズム精神と言ってよいかもしれない。
あるいは、この時に生きていた福島出身という人間に与えられた義務感と言って良いかもしれない。
あの時・・・・・福島のあるエリアに何があったのだ、あるがままの事実を見てくること。
10年後、20年後には、この世界は変わってしまうだろう。
この時代に生きていた人々の生の姿を見てくること。
いまのうちに、ここに住んでいた人々の息遣いが残っているうち、その息遣いに触れておきたいということではなかったろうか。
私たちの大事な故郷はどうなっているのか、それを見てくるのは、自分たちの義務であると思っていたようにも思う。
特に、そのことで彼と話し合ったわけでもないのに、二人は恐らく、その時、そう思っていた。
(第11918回)