茶多令夫人の恋人 | 松ボックリのブログ

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見合いが済んで結婚式場や出席者の選別などの忙しさで過労が祟ったのか、跡取りの嫁が決まって安心したのか? 結納の儀式を済ませて間もなく茶多誠之臣男爵が死んだ。

喪が明けるまで結婚を自粛すると中止の通知を出そうとしていたら茶多誠之臣男爵の遺言書を弁護士が持って来て予定通り執り行う希望が書いてあった。四朗とアオイは葬式・結婚式とあわただしく過した。

昨年まで三人の姉弟が支え合って、つつましやかな暮しを夢見ていた京子義姉様は茶多四朗の結婚で独りぼっちになった。結婚式が終わると弟の変節を恨みながら父親の遺産を元手に東京都杉並区にレディス・マンションを買って慎ましく暮らし始めた。

京子義姉様は三才になると舞踊やバイオリンを習い、母親の送迎付きで音楽教室に通った。それも小学生になると新幹線に一人で乗り、京都の舞踏サークルに通い、時間的余裕が無くて気が許せる男友達も女友達も出来なかったのである。

弟達は学校がひけると自宅に戻り、山裾の学友の所に遊びに行くのを億劫がり、暇な時は二人の弟が遊び相手で何とか子供らしい時間を持っていた。

それも子守兼家庭教師のお姉さまが来るようになって、京子義姉様は四人姉弟の次女に格下げされた。京子義姉様は京都で舞踏サークルの知り合いは出来たが、遊び相手には時間的に無理で子守兼家庭教師のお姉さまが唯一の女友達だった。将来の結婚相手や結婚に対する夢も育ちようがなかった。

茶多四朗は結婚まで未経験だったのでアオイが性生活の主導権を握った。セックスの味を充分堪能出来なかったが、真似事で満足し触れ合うだけでも親密な気持ちになった。